小劇場演劇

ポツドール「夢の城」(作・演出/三浦大輔)

先日、観に行ってきました。長くなるぞ。おもしろかったから。

アパートの一室。敷きっぱなしの布団、汚い部屋。
AM2:00
若者たちがいる。7人。渋谷とか池袋で深夜徘徊しているような格好の汚い若者たち。
2人の男の子は実況パワフルプロ野球に興じている。
あとは漫画を見たり、寝転んだり。
やがて適当にセックスを始める男女。
他の者は特に気にせず、漫画や雑誌やゲームに夢中。
AM9:30
朝。女の子がドライヤーで髪を乾かしている。
起きてすぐに、セックスし始める者もいれば、すぐに外へ出て行く者もいる。
パワプロをずっと続ける男の子もいる。
PM3:00
みんな、続々と部屋に戻ってくる。
帰ってきてすぐに、またセックスを始める男女。
男同士で始める者もいる。
8人全員が揃っている。
やがて些細なことからけんかが始まる。
PM6:00
女の子が夕食を作る。鍋。
けんかの雰囲気は微塵もない。
鍋を部屋の中央に持ってきて、全員でがつがつと食べる。
女の子の1人がピアノでカノンを演奏する。*1
誰も気にしない。
AM3:00
たぶんカラオケに行っていた者たちが泥酔の態で戻ってくる。
女の子はトイレでゲロ、男の子2人は全裸でぐるぐる前転、大股開き。
全員が戻ってきて、好き勝手に掛け布団をかけて適当に寝る。
女の子が1人、泣き始める。
たった1人だけ、男の子が気づく。
男の子は全裸になってスピードスケートの真似をして、それに気づいた別の男の子がそれに続く。

概ね、上記のような事柄が舞台上で展開されていたと記憶している。
岸田戯曲賞受賞後一作ということで注目されていたこの公演。
一切の台詞がない無言劇で、聞こえるのはテレビの音、喘ぎ声など。
現代の若者の生活の赤裸々なスケッチというのが最もイメージしやすい言葉かもしれない。
少なくとも、所謂「演劇」的なイメージはここにはない。
若者たちが暮らしているという状況がただ提示されるだけ。
会話がないから一切の背景は明示されない。
ただブックオフで漫画を買って帰ってくる男の子とか、1人だけすごく遅く帰宅する女の子がいたり、と何となく想像の余地もあるのかなとも思う。
けれど、実際はかなり精密な演出がなされていると感じた。
俳優たちはさらっとやっているようにも見えるのだけれど、たぶんアドリブの要素は1つもないだろう。
セミドキュメントと呼ばれたり、リアルさを追求してきたポツドールは今回もやはり写実的で、しかし部分部分かなり戯画されているように見えた。
それは特にセックスの場面に顕著で、あの腰の振り方は動物そのもので、人間存在としてのリアリズムはあまり感じられなかったのだった
だから観ていても、こちらが興奮するようなことはまったくない。
だいたいはそうなのだけれど、細部の所作はかなりリアルだった。
例えばAM9:30の場面で、起きたばかりの男の子が寝ている女の子に手マンをするところがある。
最初は反応がなく、段々感じ始めてもなんだか無反応で、で、やがて本気で感じ始めて、フェラチオし始めるという場面。
ここにはすごい迫力を感じた。こういうのあるわ、と思った。
あと、テレビがほぼつけっ放しで、パワプロかワイドショーが映っている。
帰ってきたときや出かけのときにふと動きを止めてテレビに見入るという場面がいくつかあった。
すぐに視線をそらして、取ろうとしていた行動に戻るのだけれど、こういう何気ない所作はいいと思った。


前作の「愛の渦」という芝居では乱交パーティーの夜を今作と同じように時間で割って、小さな共同体の完成から消失にいたる道のりのミニチュアモデルみたいなものを提示したのかなとぼくは思っているのだけれど、今作ではコミュニケーションが完全に成立している関係を見せたいのかなと思った。
だからこそ「夢の城」という名前をこの芝居につけたのかなと思った。
露骨な性描写*2があり、しかしそこには愛はなくて、ただ惰性でやっているようなセックスでしかない。
でも関係はまったく崩れない。
虚無的な感情に彼らが覆われてしまっていて、それはまさに現代日本の若者そのものなのかと思ってしまうところなのだけれど、意外とそうでもなかったのだった。
というのも、喧嘩をする場面のあと、食事が始まる場面。
ここで喧嘩をした当事者同士が不器用だけれど謝ろうとする。
テレビのチャンネル争いが原因の2人は片方がプレステのコントローラーを渡すし、別の男の子は殴ってしまった相手がちょうどコミックを読み終わったところで次の巻を渡し、女の子は料理を手伝おうとする。
そしてその気持ちを渡された側なのだけれど、最初の2人はパワプロを始め、漫画を渡された男の子は自分が読み終わったばかりの漫画を渡してやるし、女の子たちは2人で鍋を作る。
この場面を見て、実にまっとうな若者たちであると感じた。最低は最低だけれど。
素直に謝れないけれど、謝ろうとする気持ちはあるし、お互いに気持ちを汲んであげようとしている。*3


そして、女の子の1人がピアノを弾く場面。ここが本当に良かった。
他の子たちは鍋に夢中で、ずるずるくちゃくちゃと汚らしくがっついているのだけれど、それが不思議と綺麗な場面に見えたのだった。
余計な打算がないからこそ、すこぶる美しく見えた。
加えて、ピアノ。絵画的な場面だと思った。
実際は小汚い若者たちなのだけれど。ギャルとギャル男、みたいな。
いや、若者たちというか、舞台上というか、舞台上の佇まいというか、全体的に汚い。これはほめことばになってしまうのだろうけれど。
で、最後の場面。泣いている女の子を慰めようと、全裸でスピードスケートの真似をする男の子2人。
女の子は全然見ていないし、泣き止まない。泣き止むまで続けるのではなく、部屋の中を一周しただけで終えてしまう。
ここら辺は現代性だなと思ったけれど、いい場面だった。
女の子がどうして泣いているのかをまったく説明しないのもいい。
たぶん男の子にもわからないのだろう。
でもくだらない行動に出て、慰めようとする。結果的には中途半端なのだけれど、とても優しい思考だと思う。
こういうところからも、彼らがガングロだったりちんぴらみたいな格好だったりしていても、少なくとも意思の疎通をうまく図れずに同級生とか親とかを殺してしまう大馬鹿者よりは、はるかにまっとうな人間に思えてしまったのだった。
それは作・演出の三浦大輔の優しさなのかもしれないのだけれど。


この三浦大輔という人はずば抜けた演出家なのかもしれないと思った。
「ニセS高原から」という芝居を観たときも思ったけれど、自身の方法論に忠実というか、それは欲望と言い替えてもいいのかもしれないのだけれど、緻密で計算され尽くされている演出を見せてくれる。
今作では本当に俳優の一挙手一投足まで演出を加えたのだと思う。
だから見ようによってはダンスの振り付けみたいに見えてしまったりもしている、いいかどうかは別として。
ぼくはおもしろいと思った。
何より刺激的だった。性描写うんぬんではなく。
非常にスリリングな芝居だった。


公演は今日までだった。
1度観るだけで相当の集中力が必要になり、かなりもっていかれるので、2度は観られないと思った。
でも本当に素晴らしい演劇だった。


ここまで書いておいて、なんだかよくわからない文章だなあと自分でもわかっている。
でもせっかく書いたのだから、このまま登録しよう。

*1:クラシックには明るくないので違うかもしれないけれど、たぶんカノン。あとエリーゼのために

*2:男の子はチンコ丸出し。女の子も尻は出してた。毛らしきものも見えた場面があった。

*3:もちろん、ここがただのギャグである可能性も否定できないのだけれど。