コクーン歌舞伎


ぼくは今までこの「東海道四谷怪談」という芝居を二年前の夏に観ただけで、それ以前の上演に触れていない。
今回が二度目の「四谷様」で、コクーン歌舞伎も去年に続いて二度目。
ただ、在学中に「東海道四谷怪談」に関するレポートを書いたり、今でもたまに読み返したりしている。*1
それくらいに好きな芝居だから、すこぶる楽しみだったのだ。
しかし去年のコクーン歌舞伎「桜姫」の嫌な思い出もあったのだった。
加えて、同じく去年の納涼歌舞伎の串田演出の「法界坊」。客席はうけていたけれど、ぼくはどうにもなじめず、楽しめなかった。
だから不安でもあった。


で、結果としてどうだったかというと、これがとても面白かった。以下ネタバレ。
チラシ等のキャッチコピーでもあった、『新しい「四谷怪談」』。これが舞台上にあったと思う。
ぼくは1968年歌舞伎座での全段通し上演を観ていないし、大成駒のものも玉三郎のものも観ていないから、過去の「四谷怪談」を知らない。
だから実際問題として新しいのかどうかはわからない。でも新しいと感じた。
装置等は去年の「桜姫」と同じく、人力で動かせる簡単な舞台を置いて、その上に最小限の道具がある。
去年のを観ていれば、奇抜だとは思わないだろうね。
実際、隠亡堀までは変わった演出というのはほとんどなくて*2、おそらく通常通りの進行だった。
今回の北番最大の特徴は三角屋敷と小平内を出すというところと、お岩様と直助権兵衛の二役を勘三郎が演じるというところだろう。
これは今回が初の試みだと思う。
通常の上演であれば、お岩様、小仏小平(加えて佐藤与茂七)の二役あるいは三役を一人の役者が兼ねることになる。
しかし北番ではお岩様と直助権兵衛、小仏小平と佐藤与茂七をそれぞれ勘三郎扇雀が演じる。
この試みは成功しているかどうかといったら、正直微妙だった。
勘三郎の直助は良いのだけれど、決して最良の直助ではなかった。
二年前に観た坂東三津五郎の直助が本当に素晴らしかったから。
一番残念だったのは、与茂七を狙って地獄宿を出るときの、「目当ては提灯」が決まらなかったところ。
客席通路の途中でふわっと口走ってしまっているように聞こえた。見得をしてほしいところなんだけどね。
もう一つ、三津五郎の直助は殺しの場面が陰惨で気持ち悪いくらいだったのだ。
殺してからがつがつと出刃で顔を削るところはおぞましかった。
ところが、今回のはそうでもなくて、けっこうあっさりしていた。
お岩様と直助の二役をするというのは本当に大変なんだろう。


ところが、三角屋敷を出す以上、直助が芝居の中央にくる場面があるということだ。
南番では弥十郎が直助をやるのだけれど、失礼だとは思うけれど、やはりニンではないし、十分な直助役者じゃあないと思うのだ。
だから勘三郎が直助を演じなければならなくなる。で、ぼくは勘三郎の直助は合っていると思った。
ただお岩様との二役では大変なのだ。勘三郎が二人いれば問題ないのだけれど。
そして、三角屋敷と小仏小平内。
ここを上演することによって、前半でばら撒いた伏線の多くが回収されることになる。
奥田庄三郎殺し、田宮家の秘薬ソウキセイ、隠亡堀のだんまりでの持ち物入れ替わり、などなど。
正直、ここはもうちょっとじっくりやって欲しかったけれど、上演時間との兼ね合いもあるのだからしょうがなかったのだろうか。
実際に舞台の上に上がると、三角屋敷の場における「実は何々」の連続はそれほど気にならない。
勘三郎七之助の熱演もあってか、悲劇が加速していく様がはっきりとわかった。
もう一つよかったのは、お岩様のご遺体から剥いだ着物を入れたタライから白い手がにゅうっと出る場面。
ここはすごいよかった。ドロドロで照明当てて、ではなくて、何気なく手が出ているという異常さが本当によかったし、怖かった。
ここは勘三郎直助がかなり滑稽なところで、愛嬌があって、やはりよかった。
問題は小平内。こっちは本当にあっさりしすぎで、台本もかなり省略されていた。
小平のお化けは客席通路にいるだけで、赤穂浪士・小汐田又之丞の切腹を止める場面もカット。
子役の大希くんががんばっていたけれど、せっかく出した割には不完全燃焼だった。
この三角屋敷、小平内を含めて、一度、コクーンではなく、伝統的な型での「通し狂言 東海道四谷怪談」を観たいと思った。
歌舞伎座では無理かな。いつかの「桜姫東文章」みたいに昼夜で分けてもいいだろうし、あるいは国立劇場で五時間くらいにまとめて上演してくれないかなあと思っている。


昨日もちょこっと書いたのだけれど、一番おもしろい演出だと思ったのは夢の場、いわゆる蛍狩。
何かの本か雑誌かネットの記事かで、孝夫・玉三郎コンビで「四谷様」を出したときは、ここをじっくりやったと読んで納得してしまったのだけれど、今回全段通しでもここはカットするだろうなと思っていた。
美しい女がお岩様の怨霊に変化するという場面だから、勘三郎のお岩様には合わないんじゃないかと思っていた。玉三郎だといいのだろうけれど。
ここをどう演出したかというと、高いところに籠を吊るして、その中で遠見の子役に演じさせたのだった。
声は勘三郎橋之助の声でね。
ここは夢の場というだけあって実に幻想的な場面で、ぼくはこの「蛍狩」は所作事っぽいイメージ*3を持っているのだけれど*4、この演出は大当たりだと思った。
この場のお岩様と伊右衛門は織姫と彦星でもあるのだから、宙に浮いているという直接的視覚的な絵は綺麗だったし、ぴったりはまっていた。姿が見えにくいのが難点なのだけれど。
中二階、二階のバルコニー席からはよく見えるのだろうか。


幕切れには仇討はなく、蛇山庵室の場面ではやつれた伊右衛門が観た悪夢の中で幕になる。
ここが非常に残酷な場面で、奈落を大きく開けて、多くの人間が舞台のはるか上からぼとぼと落っこちていくのだ。*5
伊右衛門に関わった者、つまり秋山長兵衛や伊右衛門の母、直助も飲み込まれていく。
文字通り奈落に飲み込まれていくわけで、闇がとても深く感じられた。


今回観る前に、前日だったかな、新聞に勘三郎と串田監督のインタビューが掲載されていて、北番は群像劇としての四谷怪談なのだということを言っていた。
観終わって、すごい腑に落ちたのだった。
後半、というか、隠亡堀以降、お岩様はその姿を見せない。
勘三郎が直助をやらなくてはならないという理由もあるけれど、舞台上に広がっていたのは生きている人間のドラマだったように感じられた。
社会の下の方で蠢いているような者から忠義の浪士までさまざまな階級に属した人間のドラマ。
そういう意味でも、やはり『新しい「四谷怪談」』であったと思うし、この北番が上演された意義は、少なくともぼくの中では大きかった。


最後に、忠臣蔵との結びつきが多く見られたこの北番、幕切れが少し残念だった。

この跡、雪を用いて、十一段目、目出度く夜討

この「東海道四谷怪談」幕切れの一行を生かして欲しかった。贅沢過ぎるかな。
ぼくは死ぬ前に一度でいいから「四谷様」と「忠臣蔵」の同時上演を観たいんだけど、無理だろうか。

*1:東海道四谷怪談」「盟三五大切」「桜姫東文章」の三作は本当に読み返すことが多い。

*2:役者が何役兼ねていることから、遠見の子役を使ったり、色々やりくりはあったけれど。

*3:「二人椀久」とか「小袖物狂」みたいな感じで。

*4:もちろん素人であるぼくの勝手なイメージで、実際台本を読んでもやはりお芝居なのだ。

*5:人形だけどね。