映画

クローネンバーグの新作、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を観てきた。
映画館で映画を観るのは去年の「妖怪大戦争」以来だった。
傑作だった。じつにおもしろい映画だった。

 インディアナ州の田舎町で小さなダイナーを経営するトム・ストールは、弁護士の妻と2人の子どもとともに穏やかな日々を送っていた。そんなある夜、彼の店が拳銃を持った2人組の強盗に襲われる。しかしトムは驚くべき身のこなしで2人を一瞬にして倒してしまう。店の客や従業員の危機を救ったトムは一夜にしてヒーローとなる。それから数日後、片目をえぐられた曰くありげな男がダイナーに現われ、トムに親しげに話しかける。人違いだと否定するトムだったが、トムの過去を知るというその男は、以来執拗に家族につきまとい始める。

上のはall cinema onlineからの引用。
この映画、公開館数が少ないのがもったいない。素晴らしい映画だった。
上のストーリーだと、ありがちな、B級映画のような印象をうけるかもしれないのだけれど、この映画にとっては、この筋立ても主人公の過去も謎もたいした要素にはなりえない。
アカデミー賞では脚本賞でノミネートされていたけれど、脚本だけではこの映画の魅力は理解できないと思った。
物語を追うための映画ではないから。強烈なドラマツルギーはあるのだけれど。
細部がすこぶるねちっこいのはクローネンバーグ節だろう。(笑)


何より素晴らしいと思ったのが、日常的な描写の積み重ねが、明らかに異常な方向へ変質していく中盤以降だ。
序盤と同じようにじっくりとリアリスティックに描かれているのだけれど、とんでもなく不穏で不安な空気になっている。しかし何も起こらない。これが怖いんだな。
事件や事故なしで奇っ怪な空気を醸し出すというのは難しいと思うのだけれど、クローネンバーグはこの映画でそれに成功している。
この映画は何気ない部分、例えば序盤の朝食の場面や主人公が勤めているダイナーの場面などが本当に巧妙に作られている。だから後半が異様なんだけど。
おそらくクローネンバーグ監督は相当緻密な演出を加えたのだろうと想像した。
実際に現場を見たわけではないから、もちろん実際がどうであったかはわからない。
しかし、ポツドールじゃないけれど、役者の動きや台詞、またカメラワークに至るまで、完璧に計算されつくされていたし、まああくまで映画的、映像的なのだけれど、現実を提示したのだと思う。
不必要なシーンが一つもないのだな、この映画には。丹念に練り上げた映像が最初から最後まで続いている。
冒頭のカメラワークがまた素晴らしい。惨劇の瞬間を全く描写していないのに、心底不穏な映像になっている。
この映画でクローネンバーグがアカデミー賞の監督賞にノミネートされていなかったのはおかしな話だ。


日常的な描写が細かい一方でアクションシーン、主人公が悪人やギャングをばったばったと倒す場面、ここは多少戯画されている。
破壊された人体の描写はパンフレットによれば医学的に分析されたものらしいから、きっと実際に鉄砲で打たれたり、掌底で潰された死体はああなっているのだろうけれど、そこに至るまでの主人公のアクションはコミックっぽい。
というか、コンテンポラリーダンスの一部分を観ているようでもあった。
同じアクションをジャッキー・チェンがしていたら、こうは思わないのだろうなあ。
頭を打ち抜かれたり、顔を潰されたりした人間が死なずにびくびく動いている描写なんて普通のアクション映画にはないものだものね。
心底気分の悪くなる映像で、でも暴力による人体の解体を描いている以上、不愉快になって当然なのだ。
「ハリウッド的」アクションへのカウンターという意味もあるのだろう。
この映画のアクションシーンを爽快に思う人はいないよなって感じた。主人公の息子がいじめっ子をぼこぼこにする場面を含めて。
それくらいにグロテスクで嫌なものだった。


これは爽快感とは皆無の映画だった。けれど、おもしろかった。
クローネンバーグはやはり一流の映像作家だと思った。
昔の、「シーバース」とか「ブルード」みたいなホラーが好きだったが、映像作家として今は全然違うフィールドにいるのだな。
まあ、この人はあの「裸のランチ」を自分の映画にしてしまった時点で天才といえるんだけれど。


役者は皆よかった。クローネンバーグの演出もあってのことなのかもしれないけれど。
特に脇役のエド・ハリスウィリアム・ハートの二人は最高だった。
ギャングのボスを演じたハートのへたれっぷりには言うことがないね、もう。アカデミー賞候補も納得。
主役のヴィゴ・モーテンセンも表情が実にいい。
暴力衝動がよみがえるにつれてやつれていくメイクもよかった。
子役もがんばっていた。長男は相当難しい役どころだろうけれど、上手に丁寧に演じていた。
そして奥さん役のマリア・ベロ。マリア・ベージョって呼んでもいいのかな、わからないけど。
この人もやはり顔がいい。後半の獣じみたセックスシーンと途中でやめて、さっさと階段を上がっていくところは圧倒的な肉体の存在感があった。


最後、兄であるギャングのボスとその手下を皆殺しにして帰宅した主人公を家族が迎える場面で映画は終わる。
主人公に対して、娘が皿を取り、息子がパンを置く。
妻は泣き笑いのような顔をして、主人公は申し訳なさと寂しさがごちゃ混ぜになったような表情を浮かべる。
この後、家族が再生するのか、あるいは家族は人殺しである主人公を受け入れるのか、それとも惨劇が待っているのか、クローネンバーグは完全に観客に委ねている。
ちょっと阿部和重の「グランド・フィナーレ」を思い起こさせるような終わり方だった。
あと5秒くらい長かったら、文句ない終わり方だったなあ。
いきなりぱっと切れたので、ちょっと戸惑ってしまった。
しかし救済でも断罪でもなく、とりあえずただ続くということを表した秀逸な結末だったと思う。