「僕らは分かたれたアンドロギュヌス。」における、総武線。

 昨日ちょこっと触れたとおり、「僕らは分かたれたアンドロギュヌス。」について、今更ながら考えてみる。
 一読して、ぼくにとって最も重要な文章は「兎角逝き場所を探そうと総武線に乗り込んだ。」だった。

兎角逝き場所を探そうと総武線に乗り込んだ。

 「総武線」を常日頃利用しているぼくにとっては、「総武線」という響きが妙に生々しく届いたのだった。「総武線」。書いた方は何も考えずに総武線を使ったのかもしれないが、ぼくはこの小説に奇妙なリアリズムを与えているのは「総武線」であると判断した。
 これが「総武線」でなかったとしたら、どうなっていたか。

兎角逝き場所を探そうと小田急ロマンスカーに乗り込んだ。

 台無しである。直前の、「あるとき私は死のうと思い立ち、電車に乗った。」という文章を粉砕してしまう情けなさである。
 大事なのは「あるとき私は死のうと思い立ち」である。特に「あるとき」が大事である。「死のう」と思うのは「あるとき」であってはならないとぼくは考える。なにか決定的なきっかけがあるべきで、魔がさして飛び降り自殺をした、という場合には「死のう」という意思のようなものが感じられない。「死のう」と思うに至るまでの思考というのがここにはなく、きっと「私」は本気で「死のう」と考えているわけではないのだろう。
 そこで俄然、総武線が重要になってくる。
 例えばである。

兎角逝き場所を探そうと中央線に乗り込んだ。

 この場合、もう本気である。「中央線」はしょっちゅう人身事故で電車が止まる路線で、沿線のいたるところに死の匂いがあるのである。上のような文章であった場合、本格的に「死のう」と思っているのは明白になってしまう。しかし違うのだ。
 「死のう」かな、くらいの軽さがあるはずなのだ。そこで「総武線」である。「中央線」には生々しさがあるが、「総武線」にはアンニュイさがある。そもそも西側が曖昧な路線だ。いつの間にか「中央線」になってしまうような路線なのだ。曖昧さが鈍い自殺願望を許容している路線、それが「総武線」である。
 「総武線」は東京から千葉へ出る路線である。終点は千葉、「総武線快速」の場合は「君津」や「上総一ノ宮」や「成東」まで行く。内房線外房線直通である。その先にはやはりどこかアンニュイな海がある。「木更津」であり、「九十九里」である。
 そういえば、東京から出る、というのがメタファーなのだろうか。考えてみれば「小岩」は千葉県直前の駅である。「総武線」における、もっとも千葉に近い東京の駅なのだ。
 もちろん東京から他県に出る路線は他にも多い。JRだけでも、「横須賀線」であり「東海道線」であり「埼京線」であり「京浜東北線」だ。しかしこれらはどうだろうか。例えば「横須賀線」だ。久里浜が終点の路線だが、行き先は「鎌倉」であったり「逗子」であったりするし、どうしても「湘南」の影がちらついてしまう。サザンオールスターズだ。そこに曖昧な自殺願望の受け皿があるだろうか。
 「東海道線」もそうだ。行き先は「熱海」であり「小田原」だ。温泉である。プチ自殺願望を抱えた人間が温泉を求めるだろうか。
 「埼京線」や「京浜東北線」は逆に、ぼくだけかもしれないが、通勤、通学のための路線という印象が強い。これらはあるいは憂鬱の原因にはなるかもしれない。しかし、ここには実用性みたいなものがあり、曖昧さがない。
 やはり「総武線」なのだ。「総武線」でなければならなかったのだ。
 その証拠に以下のように地下鉄の路線を当てはめてみた。

兎角逝き場所を探そうと都営大江戸線に乗り込んだ。

 これはだめだ。「自殺」ではなく「切腹」になってしまうし、「あるとき私は死のうと思い立ち」は「あるとき拙者は腹を切ろうと思い立ち」に変わってしまうし、題名はきっと「わっちらは分かたれた女形。」になるに違いない。
 地下鉄以外にも色々と当てはめてみたのだが、どれもだめだ。

兎角逝き場所を探そうと湘南新宿ラインに乗り込んだ。

兎角逝き場所を探そうと京王新線に乗り込んだ。

兎角逝き場所を探そうとつくばエクスプレスに乗り込んだ。

兎角逝き場所を探そうと秋田新幹線こまちに乗り込んだ。

 本当にどれもダメだ。序盤でこんな表現が出てきたら、その場で見限られる可能性すらある。だいたい何だ「秋田新幹線こまち」って。死に場所を探しているのかきりたんぽを食いたいのかはっきりした方がいい。
 やはり「総武線」なのだ。総武線の微妙なリアリズム、存在感というのは、こうして比べてみると、たいしたものだ。
 「総武線」でなければならなかった。「田園都市線」でもいけない。「東武亀戸線」でもいけない。「都電荒川線」などもってのほかだ。「総武線」である必然性、それは曖昧な陰鬱さであり、絶望とも希望とも取れる許容の大きさなのだろうとぼくは思い、四点を入れた。