バトルこんぺ

 そろそろ感想のひとつでも書いておかないと、各方面から叱られそうなので、とりあえずひとつ読んだのだった。妄想感想1本目です。ネタバレどころの話ではないので嫌な人は読んじゃダメだよ。あとかなりひどいことを書いているので、何だかんだあんまり読まないほうがいいと思うんだ。しかも長いし。

  • 「メリッサ」バトルこんぺ(仮)投稿作No.16

 どうしてこれを選んだかというと、小説をひとつ読み解くためにはとっかかりのようなものが必要で、これはそのとっかかりが容易に見つかったからだった。詰まりそれは題名の「メリッサ」であり、ヒロインの名前でもある。どうしてそれがとっかかりになり得るかというと、「メリッサ」というのは一時期マスコミに叩かれた抗がん剤の名称だからだ。抗がん剤というのが広義の意味での比喩になっているとぼくは考えた。

 聖王都より徒歩で数時間、王都周辺と言うには遠すぎ辺境と言うには近すぎる、そんな地方に彼――レオンが足を踏み入れたのはつい数刻前のことだった。

 上が冒頭の一文だ。常々思うのは、書き出しの一文は非常に重要なのではないのかということだ。ガルシア=マルケスの「百年の孤独」や「予告された殺人の記録」は書き出しがまず素晴らしいのだが、ここでガルシア=マルケスを持ち出すと「またガルシア=マルケスか!」と怒られそうなので、あえて日本の作家の例を持ち出してみる。

 ブルース・リーが武道家として示した態度は、「武道」への批判であった。
アメリカの夜阿部和重

 そしておれは「最低」と言われた。
「火薬と愛の星」森健

 袋を被ると、暖かい空気が顔を包む。
「さよなら、アメリカ」樋口直哉

 上に挙げたのはいずれも群像新人文学賞受賞作の書き出しの一行だ。阿部和重柄谷行人を、樋口直哉安部公房を一瞬で連想させるような書き出しで、森健は何だか得体の知れないパワーを感じさせる書き出しであるようにぼくには思える。小説世界の最初を印象付けるためにも、書き出しというのはたぶんどんな書き手もかなり意識をしているのだとぼくは考えている。

 聖王都より徒歩で数時間、王都周辺と言うには遠すぎ辺境と言うには近すぎる、そんな地方に彼――レオンが足を踏み入れたのはつい数刻前のことだった。

 この「メリッサ」の冒頭部分にはかなりの情報が詰め込まれていて、主人公がどこにいて何をしているかというのをたった一文で現している。「都」と「辺境」の間には「地方都市」とか「商業都市」とか「宿場町」みたいなものがあってもいいのではないかと思ったが、まあいいってことよ。気にしない気にしない。
 この後、題名の挿入までの数段落で、女性の悲鳴を聞いた主人公が駆け出すまでが描かれる。全体的に固めの文体で綴られているのだけれど、中途半端な描写が多い。マイナスポイントである。例えば二段落目で「女性の悲鳴」が「聞こえた」と言いきっているのに、四段落目では「どうやら女のそれであるようだった」と曖昧になってしまっている。後述するが、他にもおかしな箇所はあって、中世っぽさを出すために重くしている文体が裏目に出ているように感じられた。
 彼が悲鳴の主へ走り出したところで冒頭が終わり、タイトルが挿入され、一気に時代背景、世界観の説明に入る。ぼくは説明のための文章は嫌いなのだが、思いの他すんなり読めた。
 だが、ここでひとつ問題が生じた。はっきりと思い出した。抗がん剤の名前は「メリッサ」ではなくて「イレッサ」だった。イージーミスだ。ということで、抗がん剤は関係なくなってしまい、とっかかりを失ってしまった。どうすればいいんだ。しかしながら、ここまで読んできて、抗がん剤はほとんど関係ないのではないかという疑念が湧いていたので、抗がん剤という要素を切り捨てるきっかけにもなったので、思い出せてよかった。
 世界観の説明が続く。もっとも、世界の説明と見せかけて、この物語の結果、世界がどう変貌したかということがここで書かれているので、トリッキーといえばトリッキーな構成になっている。この小説の世界は純粋に中世ヨーロッパの世界をトレースしているわけではないので別に構うところではないと思うが、社会保障の概念が中世にあったのかどうか。以前、「奇形白書」という変な本を読んだことがあるが、あれ? 内容憶えてないや。ここはただ事実として書かれているだけで、過激さを狙って書かれたわけではないんだろうから、身体障害者、売春婦、アイスがただそれであるという理由だけで斬首される時代ということを受け止めておく。でも……思えば思うほど、すごい時代だ(笑)。
 物語は冒頭に戻り、いよいよ動き始める。冒頭部分で描かれた悲鳴の主である少女メリッサを主人公レオンが助けようとする場面。レオンという名前だけでジャン・レノ、そしてナタリー・ポートマンが浮かんでしまうおれはもうほとんど病気だが、そんなことは放っておくとして、結果として、レオンは少女を助けるどころか、少女を襲っていた大男(とその手下)にこっぴどく痛めつけられた上に、少女とのセックスを強要されることになる。ここが伏線となっているわけだが、問題はそういった構造ではなく、レオンが味わっている屈辱が伝わってこないというところだ。ここで仇になっているのが文体そのもので、淡々とした文体がその屈辱感を削いでしまっているように感じられた。心理描写が説明的で、ナマの感情として描かれていないのではないのかということだ。他にも、「おや?」と思ってしまう箇所がここにはあって、メリッサとのセックスの場面だ。次のような文章がある。

いつの間にかレオン自身も激しく腰を動かしていた。

 腰を動かすのはいい。彼の勝手だろう。だがちょっと待って欲しい。このファックは騎乗位なのである。「自分の上で」という描写があり、大男に暴行を受け倒れているレオンの上にメリッサが乗っかっているということになる。つまり上の描写は、レオンが突き上げているということになるのだが、直前まで腹を蹴られてのたうち回っていた怪我人にしてはやけに元気だ。何しろ「激しく」なのである。この描写は、ぼくは失敗だと思う。むしろ、後半の展開を考えるに、メリッサが腰を振るべきなのだ。
 おっと、ファックについての感想が長くなってしまった。続きを読み進めることにしよう。この後、物語は小休止となり、レオンの屈辱からの再生の過程と、それを見守るメリッサという奇妙な共同生活が描かれる。ここで注目すべきは「貴族」へ対する作者の冷たげな視線だ。貴族のボンボンの無能さがさりげなく描かれる。ここも終盤の展開への伏線であるとぼくは思う。ここの問題は枚数の不足で、二人の生活をもっとじっくりと書いて欲しかった。上限があるものなので難しいとは思うけれど、終盤の破局カタルシスが薄く感じられる。
 再び物語が動き始めるのが、メリッサがレオンのまっすぐさを認識した瞬間だ。関係にひびが入る瞬間をよく表しているのが「羨ましい」という言葉だろう。身分や環境ではなく、ライフスタイルみたいなもののまっすぐさを目撃した瞬間、羨ましさと同時に後ろめたさを感じてしまうのだ。だからメリッサは絶望する。「諦念」という言葉が使われているが、まさにそれだ。
 しかしながら、現代の価値観ならともかくも、中世の価値観において、メリッサが絶望する理由というのは、じつはよくわからなかった。レオンと自分の違いというのがもちろんあるのだろうが、二人の関係というのはさほど深くない。売春婦である自分に絶望した可能性が強いのは「罪深い人間」と自分を評価しているところから読み取れるが、中世の人間は売春を恥ずべきことであると認識していたのだろうかと疑問に思った。売春というのは歴史上、相当古くから職業として成立していたと何かの本で読んだか授業で聞いたかした記憶がある。メリッサはどちらかというと現代的な価値観を持っていたのだろうか。実際の中世を舞台にしていない以上、価値観をどこに設定するかというのは大きなことであると思うのだが、この小説ではつめきれていない印象があった。物語の矛先が貴族と一般市民の恋に向かっている以上、価値観の相違も描かれるべきで、そこはかなり不満だった。生活の匂いがあまりしないというのもよくない部分だった。上限がなければ、もっともっとよく書けていただろうし、30枚から40枚くらいの分量でファンタジーを書く難しさというのはここにあるのではないのかと思う。
 しかしここからがおもしろい。町へ出たレオンが目撃するのは「みすぼらしい花」を籠に入れて客引きをしているメリッサの姿である。ここでようやくメリッサが娼婦であることが明らかにされるのだが、いいなと思ったのは「みすぼらしい花」を籠に入れているというイメージだ。別役実の「マッチ売りの少女」における、マッチの炎でめくったスカートの中を照らす少女のイメージと同じようなもので、エロティシズムと詩情がここにはある。「みずぼらしい花」というのが鍵で、おそらく枯れた花なのだろう。あるいは、もしかしたら「仇花」ということなのかもしれないが、イメージとしては、枯れた花くらいにとどめておくのがいいのだろう。美しい少女が枯れた花を持ち、身体を売るために街角に立つ。いいイメージだなと思った。
 ここで大男が再び登場する。この小説の中で誰よりも不憫であるのは彼で間違いない。何一つ悪いことをしておらず、契約にのっとって、ただ身体の売買をしていただけにもかかわらず、殺されてしまうのだから。しかも、名前すら与えられない。読み返すたびにかわいそうになる。
 死という救済を求める少女と与えずに立ち去っていく貴族の少年というコントラストが幕切れで描かれる。ここに至ってこの小説が思いのすれ違いのドラマ、価値観の相違のドラマであることが明らかにされる。はっきりいって、レオンの考え方は甘いし、世間知らずっぷりには腹立たしいくらいであるが、この後、悲惨な時代が訪れるということをあらかじめ描写しておくことによって、彼の浅はかさが強調される。「お前な、惚れた女が娼婦だったからって、この仕打ちはないだろ」とか「娼婦皆殺しはこれがきっかけか!」とか、そういうところだ。しかしながら、この結末の部分は本当によかった。すれ違いながら終わるというのは綺麗だと思うのだ。ディスコミュニケーションの悲惨さがいいんだよ。殺してもらえると思っていながら、叶わないと知ったときのメリッサの絶望はいかほどだったのか。
 ただやはり納得できないのが、「暗黒時代となりつつある」時代を生きている人間としては、あまりにピュアすぎるのではないのかなということだ。貴族のぼんぼんであるレオンはともかくも、メリッサは純粋すぎるだろう。もっとも、ぼくの中の中世の民衆観はベルトルト・ブレヒトの「肝っ玉おっ母とその子どもたち」がベースとなってしまっているため、肝っ玉を初めとする登場人物たちのしたたかさがその時代の価値観というか、そのようなものだと思っていたので、どうにも納得できなかった。保守的でごめんなさい。
 唯一の救済があるとすれば、メリッサがこの別れの五年後以降に処刑されている可能性が非常に高いということだ。逆にどこかの誰かの手で彼女を斬首するというのは、レオンのまわりくどい復讐だったのかなとも思ってしまう。


 次はどれを読もうかな。