ロリこん

 今日も感想を書いてみる。No.6の「そして小鳥は籠へと帰る」。ネタバレあり。
 この一篇に対してぼくにはどうしても納得できない点があって、それがぼくの無知から来るものなのだとしたら作者様へは謝罪のしようがないのだけれど、あえてここで書いておくことにする。
 それは一つの言葉の使い方だ。以下引用。

「えぇ」と老人は頷き、その表情を不快げに歪めた。「あの気狂いですよ」

 ぼくは「気狂い」という言葉を、ゴダールの「気狂いピエロ」以外で使われた例を過分にして知らない。おそらくは「きちがい」と読ませたいのだろうが、どうしてこの字をあてたのかがさっぱりわからなかったのだった。
 「気狂い」という字をあてることが一般的であるかどうかがまず疑問だし、加えて、老人の無知さを描く場面において、どうしてわざわざ「気狂い」という漢字をあてたのかがわからないのである。ここは「きちがい」か「気違い」とすべきだったとぼくは思う。老人の無邪気さに裏打ちされた悪意があまり強く出なくなってしまう。
 そこでこの「気狂い」という言葉が使われる。これをまず「きぐるい」と読んでしまう人もいるだろうし、普通にゴダールの映画を「きぐるいぴえろ」と読む人もいるし、そもそも「きぐるいぴえろ」の方が一般的かもしれない。というように読みに曖昧性がある言葉をわざわざこの場面で使うのはどうかと思った。しかもせりふの中で。
 ここは「きちがい」とか「キチガイ」とか書いた方が効果的だったと思うし、シーンの意図が端的に表現されたと思うのだけれど、どうだろうか。わざわざあまり一般的ではない字を当てる必要は、少なくともなかったと思うのだ。
 もちろん「狂」という言葉を使いたかったということであれば、話は別なのである。インパクトあるからね、「狂」は。「うおっ」って思うもの。
 それはともかく、上にだらだらと書き連ねた理由があって、ぼくはこの一篇を全く楽しめなかった。無防備だと思った。ただあれだね、かきさんにあざといって言われたらもうおしまいだね。ぼくはそう思う。