岩波……

 岩波書店が「ギリシア悲劇全集」を出版するらしい。全13巻の別巻1で、まあそれはいいのだけれど、戯曲の場合、海外の古典は意外と手に入りやすい国なのかな、日本はと思った。
 シェークスピアは当然のように文庫、もしくは白水社のシリーズで容易に買えるし、ギリシア悲劇も「オイディプス」や「アンティゴネ」は文庫で出ている。スペインのロペ・デ・ベガとかカルデロン・デ・ラ・バルカあたりはなかなか難しいかもしれないけれど、近代以降に目を向けると、ブレヒトチェーホフテネシー・ウィリアムズが文庫で手に入るし、最近は早川書房からニール・サイモンアーサー・ミラーエドワード・オールビーの戯曲が文庫で出版された。海外の戯曲については恵まれている方なのかもしれない。
 悲しいのは国内の古典の入手が難しいことだ。最近、近松門左衛門浄瑠璃集が角川文庫で出たけれど、河竹黙阿弥近松半二あたりは難しい。鶴屋南北は辛うじて「東海道四谷怪談」が文庫で買えるくらいで、あとは白水社の歌舞伎オンステージのシリーズで2000円、3000円くらい。本当にさ、岩波は黙阿弥の本を早く復刊してくれないものかよ。そして近松半二も、やはり歌舞伎オンステージのシリーズでいくつか読めるだけとなっている。黙阿弥と半二は文庫で出して気軽に読めるようにしてもらいたいものだ。
 今の日本の首相は美しい国をめざしているみたいだけれど、国語教育のことを考えると、言葉の面ではあまりいい方向に進んでいるとは思えないわけですよ。教科書に掲載される文章やテストで使われる文章の重点がわかりやすさ、読みやすさにおかれ始めているという旨の記事を目にして、それはどうかと思った。感覚的でわりと平坦な文章というのが最近の文学の主流になっているっぽいのだけれど、そういう文章を学ぶことが国語教育なのかって思ってしまう。綿矢りさの文章が日本語を学ぶことに適しているのかなって。
 逆に現代文で読みやすさを導入するのなら、古典でも馬琴とか一九のエンタメ路線を教科書に導入しろよって思うわけですよ。ぼく自身は学生の頃に古典が嫌いでろくに学んでいなかったのだけれど*1、教科書に掲載されていたのが曲亭馬琴だったら好きになっていたかもって思ってしまうくらいにおもしろいからね。
 おっとかなり脱線してしまった。要するに何が言いたいかというと、ぼくは歌舞伎を観始めてから、図書館で台本を借りて*2読み漁っていた時期があって、その過程で日本語のおもしろさを再確認した。鶴屋南北には趣向と構成の奇抜さに驚かされたが、黙阿弥には掛詞によるイメージのふくらみを泉鏡花以上に感じさせられた。そして最近、近松半二の戯曲をいくつか読んで、この人もまたすごい書き手だったってことを思い知った。まあ、大南北はともかくとして(笑)、黙阿弥と半二に関しては、代表作を読んでみても損はないと思う。
 日本語の豊かさっていうと大袈裟だし、もちろん英語には英語の、スペイン語にはスペイン語の良さがあるけれど、言葉のイメージ、語感なんてのを考えると、やっぱり黙阿弥いいぜって思う。
 シェークスピアギリシア悲劇もいいけれど、日本の古典がもうちょっと気軽に読めるようになればいいなって思うわけですよ。どうにかしてくんねえかな、首相。

*1:今になって激しく後悔している。

*2:主に「名作歌舞伎全集」と「歌舞伎オンステージ」。