国立劇場十一月歌舞伎公演

 国立劇場で「摂州合邦辻」の通し上演を観た。三十九年ぶりの完全通し上演という触れ込みだったが、実にいいお芝居だった。
 この「摂州合邦辻」を実際に生で観るのは「合邦庵室の場」を含めてのことだったのだけれど、台本自体には目を通したことがあったので全く知らないというわけではなかった。しかしながら、近所の図書館に完備されている白水社の本にも東京創元社にも「合邦庵室」しか掲載されておらず、全体像という意味では説経節の「しんとく丸」や「弱法師」なども含めた形で漠然と思い浮かべることしかできなかった。だから、今回通し上演ということで全体像がはっきりとしたのがすこぶる有意義だった。
 この長い芝居で中心となるのが玉手御前の継子である俊徳丸への恋心であることは間違いない。それは演じる俳優によって変わるのだろうし、六代目歌右衛門、七代目梅幸などの舞台を観たことがないぼくにとっては、今回の坂田藤十郎による玉手が何というか、ベースとなってしまうのはしょうがないことだと思う。ただ、そうなってもおかしくないくらいに藤十郎による玉手は絶品であったように思える。玉手御前という人物が抱えた複雑な状態というのが手にとるようにわかった。そして、俊徳丸への恋心も本心である、少なくとも本心であったことは確かだったと感じた。

玉手 お前の母君、先奥様に宮仕えの私、御奉公の始めから。
 その美しいお姿に、心迷うて明暮に
玉手 もう打付けて云い出そか、文と思えど落散る恐れ。
 この身の科は厭わねど、愛しい御身に浮名もと、辛抱するうち情なや
玉手 奥様お過ぎなされてのち、新奥方にと殿の御意、たって辞退も御主の権威、背けば館にいる事叶わず。
(斜体は竹本です。)

 序幕にあるせりふと歌詞なのだけれど、この時点で玉手の本意はかなり明らかになっている。大成駒は合邦庵室以外を合わせて出すと、玉手は損になると言うけれど、ここら辺をしっかりやっておけば、さほど損にはならないと思った。
 つまりは元は河内の国主高安左衛門通俊の先妻の腰元であった玉手は、腰元時代に屋敷の若君である俊徳丸に恋をした。身分違いであるとはいえ、見目麗しい若殿にほぼ同年代の娘が恋心を抱くことは不思議なことではない。不運だったのは、先妻の死後に通俊に見初められ、後妻として迎え入れられてしまったということ。「背けば館にいる事叶わ」ないこと、そして元は武士ながら、現在は世を捨て坊主になっている玉手の父・合邦にとっても、娘が大名の後妻になるということは非常に名誉なことで、この話を断ることはお辻(=のちの玉手御前)にはできなかった。結果として、恋のベクトルが家来から主という構図から、母から子という構図へ変わってしまった。これは玉手にとって不運としかいいようがない。
 しかしながら、ここで俊徳丸への恋心を捨て、通俊の妻として通俊を愛するようになったというのも事実だと思います。そう簡単に切り換えられるのかという疑問があるのですが(笑)、そうならないと劇が動かない。いったんは収まったはずの恋心が復活するのは俊徳丸の異母兄弟である次郎丸の俊徳丸暗殺計画を知ってしまったから。ここには玉手の心理というよりも、薄幸の貴公子という劇作上の都合が大きく動いているように感じられるのですが、俊徳丸を救わねばならぬという思いと共に俊徳丸への愛情も浮上してしまったのだろうとぼくは思う。ただそれはただの恋愛感情ではなく、グレートマザーとしての愛情だったのではないかと思う。つまり、過去には確かに俊徳丸への純粋な愛情(憧れにも似た愛情)を抱いていたが、母となり、次郎丸の計画を知ってからの俊徳丸への想いは、愛ではあるが、それとは別のものではないかということです。武智鉄二先生が潜在的な愛といったものが、平成の今において、そういう形で結実したようにぼくには感じられた。
 この作中ではほとんど言及されないことなのだけれど、俊徳丸の行方を探す浅香姫が実家を出奔するときのエピソードがあれば、この劇はもっと濃厚なものになったと思う。この劇は明らかに女の劇であって、しかも強い女の劇であるように思える。浅香姫は説経節の「しんとく丸」での乙姫にあたる人物であって、「しんとく丸」での乙姫の強靭さといったらないのである。たった一度文を交わしただけのしんとく丸が家を出たと聞き、自ら探しに行こうと家を出るときの熱情はなかなか類を見ないのではないかと思う。「摂州合邦辻」では描かれないが、浅香姫が家を出るというドラマはあったものだと想像できる。問題は乙姫は巡礼者のなりで家を出るが、浅香姫はほとんど赤姫で出てくる。ここは見世物としてのヴィジュアル面というか、錦絵的なものを重視しているのだろうし、逆に質素な格好で出られても困る(笑)。問題はないけれど、本来の再会の場面としての絵を考えるならば、らい病となった俊徳とみすぼらしいなりとなった姫が天王寺で出会うというアンバランスさも観てみたいねと思った。
 今回の国立劇場の上演においては、坂田藤十郎の玉手が素晴らしいのはすでに書いたことだけれど、もう一つ、片岡我當の合邦がまた絶品だった。合邦庵室の前、天王寺南門前の場での合邦は庵室の合邦とは違い、愛嬌溢れる感じで、もう一つの側面を見た気がした。上演資料集にも記述があるように法界坊みたいなものでもあるのだけれど(笑)、次の場との対比というか、光と影をまざまざと見せつけられたような気がした。これが通し狂言の醍醐味ですね。我當の合邦がまたいい出来でだったので、なおさらです。
 幕間に半蔵門マクドナルドで腹ごしらえをしたのだけれど、そのときに上演資料集や筋書に目を通して、過去の演出とかを頭に入れたわけですが、読んでいて面白かったのは筋書きに掲載されている吉田文雀さんの寄稿で、三代吉田文五郎さんの玉手の型についての文章だった。長いものになるので引用はしないけれど、すこぶる理に叶っていて、すごく納得してしまった。それを踏まえた上で「合邦庵室の場」を観ていたのだけれど、やはり歌舞伎と人形では違うのか、ぼくの想像した合邦庵室ではなかった。とにかく初めて観る一幕なので、普段がどうとかはわからない。舞台細見とか、探せば資料はあるのだけれど。ただ今回に限っては通し上演の大詰めとしての「合邦庵室」であって、文楽でも歌舞伎でも普段は「合邦庵室」一幕として出すわけだから、演出や筋の運びに差異が生じてもおかしくはない。実際、今回売られていた上演台本と歌舞伎オンステージや名作歌舞伎全集に掲載の合邦庵室の切りはちょっと違ってた。不満を述べるなら、頭巾を取るタイミングであり、庵に入ってからの玉手なのだけれど、これは吉田文雀さんの文章を先に読んでこうやるのだろうなと思っていた部分だから、ちょっとしょうがないかなという気がします。とにかく、ぼくは所謂普通のというかオーソドックスな合邦庵室を知らず、今回は通し狂言の幕切れとしての合邦庵室だから、どう観るべきなのかっていうのがよくわからないという残念な部分があった。一度でも観たことがあったなら、印象は変わっていたのだろうけれど。
 しかしながら、それを抜きにしてもおもしろい舞台であったことに違いはない。寺山修二の「身毒丸」、折口信夫の「身毒丸」を読んで以来、「しんとく丸」とそれにまつわる創作には興味を示さないわけにはいかないおれである。堪能した。客席が微妙に埋まっていたかったのが残念だ。歌舞伎座の顔見世の方がお客様が入るのはしょうがないかもしれぬが、本当に素晴らしい舞台が展開されていたので、同じくらいの熱気が客席を包めばいいなって思っている。素晴らしい芝居だった、本当に。