オリジナルコンテスト

 5つくらい読んで、採点と感想をつけました。ちなみ今は上から順に読んでいる。ていうか、選んで読んでられないよ。選ぶ時間すらもどかしいので、ただ上から読んでいる。今9番目まで読んだ。ここら辺は、ぼくにとっては不作のようだった。最高点は5点。最低点は1点。感想を書く手も止まりがち。
 台詞で話を説明する、というパターンがあまり好きではない。№.3なんか、後半台詞ばかりで、しかもそれが説明的なものばかりであったから、退屈に感じてしまった。流暢なんだよね。人間によって発話されているものではないような感じを受けてしまう。それは小説的表現であって、まったくもってまっとうなのだろうけれど。おそらくぼくが演劇好きであり、口語というものに興味を持っているからなのだろう。自分で台詞を書くときも、ぶつぶつ確かめながら書いているし。だから台詞が滞る。でも№.3の台詞は決して滞らない。その停滞のなさが、逆に嘘臭く感じられてしまうのだ。話が進まなかったり、対話がかみ合わなかったり、という部分が一切ないから。
 もちろん、小説的には正しいのだろうし、ぼくの認識がおかしなことになっているのだということはわかっているのだけれど、どうしても会話の中身は「発話」されるものであるべきだと考えてしまうのだった。
 だから竹仙人さんが日記に書かれていた以下の文章には共感できた。

  • 「会話文は怒涛であるべき」
  • 読者にとって「会話を読む」、となるのではなく、読みながら「聞いてる」「感じてる」に近いのが理想

 ぼくの認識とははっきりしたズレがあるのだが、理屈としてすごいよくわかるのだ、上の文章は、実践もしているし。(笑) これを読んで、あー、そうだよねw、って思った。竹仙人さんの場合はちょっとテンション高めだけど。(笑) でも、納得できた。
 あー何だかだんだんと話がスライドしていっているような気がしますが、とにかく、そんな感じだ。もっとも、№.3は現代劇ではないので、やはりあれでいいのだろう。となると、点数を上げなくちゃならんのか。