おりじなるこんてすと

 全部、読むだけ読んだ。感想を書いていないのがまだあるのが悩みだ。感想を書くとき、結局もう一度読むことになるわけだから。
 読んでいると、「あーおれならこうは書かないな」と思うことがしばしばある。たぶんぼくは書き手として小説に触れている。基本的に読み手じゃないんだな。だから勘で読むし、感覚的に理解する(理解していると思い込む)ことが多いから、感想は何だかノイジーでとっちらかったものになってしまうのだ、ごめんなさい。


 上とも多少絡むが、Ryo-Tさんや竹仙人が話題にしている「読めませんでした(1点)」について。遅刻気味に言及。
 ぼくはこれを認めたくない。(笑) というか、「読めませんでした」単独だと、ああしょうがねえかなあ、と思うのだけれど、「読めませんでした」のあとに「(1点)」が付くのが嫌なのだ。これはおかしいと思うんだ。だって読んでないんだもの。「(全部読んだことは読んだけれど、意味までは)読めませんでした(1点)」ならいいのだけれど、本当に読んでいない場合はアンフェアだよね。読んでないものをどうやって採点してるんだっていうものすごい単純な疑問がわいてくる。「採点なし」っていう項目もあることだし、採点しないでいいじゃないかと思う。感想は残るわけだし、感想を受け取ったものは結果発表の夜にそれを読んで酒に溺れるわけだ。それで充分だと思うんですよね。
 嫌味でもなんでもなくて、読んでいないものにどうやって点数をつけているんだろうと考えちゃうのだ。。
 あと、「読めなかった原因」が書き手にあるのか読み手にあるのかという問題もあるわけじゃないですか。単純に意味不明で理解不能だったのか、あるいは、失礼な書き方になるが、読み手の読解力が足りなかったのか。前者は「読ませることができなかった」で、後者は「読むことができなかった」ということになりますね。前者の場合だったら、「読めませんでした(1点)」でもいいんだろう。納得はできるし、それはしょうがない。問題は後者、そして両者が絡み合う場合があることで、かなり失敬なことを書くが、自分の読解力のなさを棚に上げて書き手に読めない責任を押し付けている場合の「読めませんでした(1点)」がすごい嫌なんですね。これは相当極端な例だし、たぶんあまりないのだけれど。
 だから読めなかった場合で、これは確実に作者が悪いと確信している場合以外で、もしかしたら読めないのは自分のせいなのかもしれないなと思ったら、採点しないか、真ん中を取って5点か6点を入れればいいじゃない。あとは好き嫌いだ。
 何かすごい生意気で非難轟々っぽい暴論なので、こわいから、そのうち消します。