歌舞伎

 歌舞伎座、夜の部。土曜日だからか、なかなかの盛況でした。

暗闇の丑松
身替座禅
二人夕霧

 順番に。

  • 暗闇の丑松

 長谷川伸・作の新歌舞伎「暗闇の丑松」だが、これが思いのほかおもしろかったのだった。台本がなかなか良かったのだ。
 新歌舞伎っていうのは、いいものはほんとうにいいのだけれど、色褪せてしまっているものがけっこうあるように思えるのだ。以前にも書いたような気がするが、江戸時代に現代劇として書かれた世話物や、そもそも文楽だったりした義太夫やもともと能だったものを書き直した狂言に比べると、強度に欠ける気がする。
 この「暗闇の丑松」に関しては、むしろ今だからこそという感じがした。はっきりいって陰惨で、救いようのない物語なのだが、この行き場のなさとか閉塞感みたいなものは極めて現代的であるように思えた。腕のいい料理人であるはずの丑松がどうしてここまで追い詰められなければならないのかという理不尽さ。不満点もあるが、おもしろい芝居だった。
 不満点というのはまずは丑松女房お米を演じた福助だ。最近この人の芝居とはどうにもあわない。声色をいくつか変えているところが特にあわなかった。いかんね。そもそも芝居が一貫していないような気がする。「狐と笛吹き」のときも感じたことだが、なんだか女優っぽくなるときがあるんだな。情が前面に出てて、型がない。情は大事だし、新歌舞伎なのだから型なんてないのかもしれないけれど、でも、この「暗闇の丑松」においては、どこか違う気がした、
 もう一つの不満は照明だ。暗過ぎる。いくらなんでもこれはないんじゃないか。三幕目でようやく明るくなるが、序幕はしょうがないにしても、二幕目はもっと明るくしても問題ないだろう。宿場の店なんだから。例えば金丸座とか、もっと狭い劇場であったなら、この照明でいけるのだろう。しかし歌舞伎座は広すぎる。暗すぎて、逆に舞台が散漫になる。闇がタイトに広がらない、緊張感のない暗さになってしまうのだ。
 よかったのは丑松の兄貴分で実は一番の悪い奴でもあった四郎兵衛とその妻を演じた段四郎秀太郎。すばらしかった。締まったねえ、舞台が。いい悪役だ。あと、湯屋の番頭さんとか杉屋の三吉さんはよかったな。
 そういえば、これは黙阿弥の「直侍」に出てくる暗闇の丑松とは無関係だったので。「お鹿」みたいに、あらたに書かれたものなのかと思っていたのだけれど。幕間にそんなことを考えていたら、菊五郎の直侍をもう一度観たくなってしまった。何年前だったかな。粋な芝居だったなあ。冒頭、蕎麦屋での「おう、天で一本つけてくんねえ」、「あいにく天は山になりました」、「なけりゃあただのかけでいい」、というやりとりがあって*1、ここが流れるような掛け合いだった。「天で一本」っていうのがいいんだよな。この台詞、老舗の蕎麦屋なら、今でも通じるのかしら。

  • 身替座禅

 問答無用でおもしろい演目。今回も楽しかった。まあ、それだけ。これもある意味現代的、というか、普遍的。時代を越えて通じるテーマ。
 歌詞もところどころばかばかしくていいね。

  • 二人夕霧

 観ているときに、夕霧狂言の意味について考えていたのだけれど、すっかり忘れてしまった。何考えていたんだっけ。
 「暗闇の丑松」がとにかく陰鬱だから、「身替座禅」とこの「二人夕霧」で明るくなれますね。幕切れはとりあえずうまくまとまって、めでたしめでたしだし、舞台上も華やか。
 ただ、そんなにおもしろい芝居ではなかった。というか、長い。もう少しコンパクトにすればいいのに。45分くらいにまとまんねえもんかな。

*1:手元に台本がないので台詞は間違ってるかもしれないけれど、概ねこんなやり取り、江戸弁で。