コンテンポラリーダンス

 先日、彩の国さいたま芸術劇場大ホールに「主役の男が女である時」というダンスを観に行ったのだが、これがひどい出来だったのだった。金返せと思った、マジで。演出ヤン・ファーブル、出演スン・イム・ハー。まあ、ぼくはダンスは見慣れていないので、以下くだらん戯言。
 ダンサーは女性なのだが、最初は男装で登場する。そして衣装を脱いで踊って、オリーブオイル塗れになりながら最終的に全裸で踊るわけだが、もうまったくおもしろくなかった。彩の国さいたま芸術劇場のホームページや当日にもらった折込パンフには男女の性を超越したアンドロギュヌスとしての美の戦士が現れるなどと書かれていたが、実際のステージ上に存在していたのは女性ダンサーそのものだった。
 そもそもダンサーの交代があって、本来はリスベット・グルウェーズというダンサーが踊る予定だったらしいのだが、今回はスン・イム・ハーというダンサーが出演していた。これが演出通りだとしたら、これを評価できる人の気が知れない。そもそもこのスン・イム・ハーというダンサーがこのステージを支えられるほどの力量を持っていられるかどうかという疑問がある。中盤あたりから息を切らしているし、振りが音に遅れるときがあるし、身体の重心がぶれすぎていた。ぼくが歌舞伎俳優の所作事を見慣れてしまっているからかもしれないが、重心のズレはものすごく目についた。ダンスに詳しいわけではないので全くわからないが、そもそも実力が足りないのではないかと思った。中村七之助だって、これくらいなら軽く踊れるだろって思った。
 あと、台詞めいたものや振りをいちいち客席に向けるものだから、こちらの集中力が切れてしまい、それがつまらなく感じる原因になっていたのかもしれない。そういうひとつひとつの所作が女性的なんだよな。俳優の身体が両性具有的というのがこのダンスのキモであると理解していたのだけれど、男性的な側面というのが登場のときの衣装だけで、それはあくまで男装の女性であって、結局女性にしか見えないのだった。「十二夜」のときの尾上菊之助の方がよっぽど倒錯的だった。俳優がどれだけ演出家の意図を理解しているのか、疑問に思った公演だった。もう一度書くけれど、これが演出家の意図通りだったとしたら、本当にくだらない公演だった。
 さらに書くと、全裸になってからの終盤部分が一番退屈だった。ボールを使う中盤の方がおもしろく観られた。コンセプトは感じられないでもないが、俳優の身体からは批評性も物語も浮かび上がらない。一月に観た、同じ女性である井上八千代の舞踊は、何だかすさまじく物語性のあるもので、すごいビリビリきたのだけれど。あれじゃあただのたうちまわっているだけだ。獣のように、なんていう評価があるようだけれど、あれじゃ飼い猫だ。飼い猫がじゃれているだけに見えた。せめて小ホールで円形劇場っぽい客席配置にして、3列目くらいまでオリーブオイルが飛んでくるような設計にした方が、中途半端に台詞などを客に向けるよりはマシだったんじゃないかと思うが。大ホールは大きすぎだ。あの空間を支えきれていない。
 本当につまんなかったんですよ、これ。脱げばいいってもんじゃねえぞっていう。(笑) イデビアン・クルーとか珍しいキノコ舞踊団とかはおもしろいと思うのだけれど、このダンスはだめだった。受け付けなかった。4000円がパー。おれにとっては何の吸収もなかった、与野本町くんだりまで行ってこれかよ的な公演だった。
 でも彩の国さいたま芸術劇場はいい小屋ですね。与野本町に時間を潰すところが皆無っていうのが、どうにかならんのかってところだけれど。