ガブリエル・ガルシア=マルケス

 仮面の男さんのところで勢いあまってコメントを書いてしまったのだけれど、とにかくガルシア=マルケスの話だ。ガルシア=マルケスといえばやはり「百年の孤独*1だが、ノンフィクションノベルにあたる小説群が意外とおもしろいのだった。

 上のあげた三作はいずれも傑作だと思うのだが、まあ「予告された殺人の記録」がずば抜けているとしても、下の二つだって負けず劣らずおもしろい小説だ。この人の場合は何を書いても、どことなく神話的なスケール感が出てきてしまうのが不思議なのだが、それはフォークロア(=フォルクローレ)の語り部としての立場を意識しているからなのだろうか。
 最新作で、断筆しちゃったからガルシア=マルケス生涯最後の小説となると思われる、川端康成の引用から始まる「わが哀しき売女の思い出 Memorias de Mis Putas Tristes」と「コレラの時代の愛 El Amor en los Tiempos del Colera」の邦訳がまたれているところだが、むしろぼくは待っているのはマリオ・バルガス=ジョサが書いた「ガルシア=マルケス ある神殺しの歴史」という評論だ。
 しかしこれの邦訳はどうなのか。「ユリイカ1990年4月号」によると、マドリー大学に提出された博士論文が元らしく、なんと600ページを越える大著らしい。こんなものを翻訳して出版したところで、売れないのは目に見えている。カルロス・フエンテスセルバンテス論はどれくらい売れたんだろう。
 それでも青土社国書刊行会水声社なら、青土社国書刊行会水声社ならきっとなんとかしてくれる……! と思っているのだけれど、まあ、たぶん無理だろう。(笑) ていうか、これアマゾンの洋書検索でも見つけられないのだけれど、普通に売っているのだろうか。
 そういう意味では、「ユリイカ1988年8月号」にカルロス・フエンテスのガルシア=マルケス論である「ガルシア=マルケス、第二の読書」(翻訳・安藤哲行)が掲載されたのはちょっとした幸福だったのかもしれない。同じラテンアメリカの作家によるガルシア=マルケス論はもっと読みたい。レイナルド・アレナスがガルシア=マルケスを激しく嫌っているのは有名だけれど(笑)、例えばボルヘスとかルルフォとかカルペンティエールによるガルシア=マルケス論とかないものかね。
 そういえば、これは学生時代に教授に聞いたことなのだけれど、ガルシア=マルケスの小説の特徴は言葉のチョイスなのだという。実際に原文を訳したこともあるのだけれど、辞書に載っていないような古い言葉が使われていることがあった。現在では使われないような単語を利用してあのマジカルな世界観が構成されているのだと教授は言っていたが、その感覚が翻訳文をそのまま読むだけだと微妙に伝わらない。それはフランス語版とか英語版でも同じだろう。ガルシア=マルケスの核には幼年時代に婆さんに聞いた昔話(=フォルクローレ)があるというが、それらの言葉はフォルクローレからきているのだろう。しかも祖母はスペインのガリシアの出身、ガリシアというのはケルト民族とつながっている地域だ。まったくもって示唆的である。
 自分でも何を書きたいのかわからなくなっていますが、まあ、とにかく、ガルシア=マルケスは物語るという技術において、世界最高の作家だ。筆を置くなんてもったいないことこの上ないが、今まで以上のものは書けないと判断したんだろう。筒井康隆みたいに気が変わらないものかね。
 ……ねーな。

*1:

百年の孤独

百年の孤独

*2:

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

*3:

ある遭難者の物語 (叢書 アンデスの風)

ある遭難者の物語 (叢書 アンデスの風)

*4:

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)