猫の手を借りたいほど忙しくはない、いち

 今日から、毎日かどうかはわからんが、順々に書いていこうかなと思う。こんぺとかと違ってダイレクトな反応がない分、作者の皆さんは感想を貰いたくてうずうずしているに違いないという勝手な思い込みがぼくの原動力になる。作者名は仮名で。仮名じゃなくなりました。勘弁してくれよっていう方は今のうちに制止してください。
 順々ということで、「思考停止実験」のⅠとⅡから。
 例えばこんぺに出したら、「オチてない」といわれる可能性が極めて高い本作だけれど、ぼくは好きだ。文章のミニマリズムが異様に濃いⅠと比較的軽やかでポップになるⅡの落差がいいんだよ、たぶん。音楽に例えると絶対サンガツ。全然関係ないけど、サンガツの「五日間」はガチ名曲。もしくは銀杏BOYZの"あの娘はレズビアン、ぼくはピエロ"っていう歌詞が浮かんだぜ。
 Ⅰの題名に「無力なカルチャー」とあるのだけれど、これが鍵なんだろうと思う。ドラマツルギーは置いておくとして、最中さんと例えばぼくの決定的な違いはポップカルチャーとかサブカルチャーとかハイカルチャーとかがあって、それはどれでもいいのだけれど、その見え方が決定的に異なっているのだなと感じた。ぼくの場合は現実のモチーフを何となくグロテスクにトレースしてしまう癖があるのではないかと自分で思っているのだけれど、最中さんの場合はどこかアンニュイなんだな。ここで描かれているのはモラトリアムそのものなんだろう。生暖かい閉塞感がある。
 そしてこれ以上逃げられないという状態にある分だけ、「グミ・チョコレート・パイン」とか「さくらの唄」みたいな青春群像劇の傑作群よりもはるかにひどい状況が書かれているのかもしれない。それをひどいと思わずに、何となく許容してしまうのが現代なんだろうな。
 あと、あれだ、物語の不在が感じられた。時間なかっただけなのかもしれないのだけれど、物語性を削いだことはいい方向に向かっているように思える。物語が薄くなることによって、『ある状態』というものだけがはっきりと描写されるようになり、それは流れているはずの時間からの孤立そのものになる。この孤立が行き場のなさを生じさせているのだな。怖いな。どこまで計算して書いているんだろう。(笑) 猶予期間を終えた後の登場人物を想像すると怖くてしょうがないのだけれど、それでも孤立無援には至っていないっぽいところが、いい感じにぬるくて、「ああ、昭和じゃない。戦後でもない。平成だ」という風に思ってしまうわけです。
 さて、何だかよくわからない感想になってきましたが、簡単にまとめると、この作者に見えているモラトリアムに共感できるか拒絶してしまうかで、評価が決まるんじゃないかと思う。ぼくは好きです。もうすでにこの小説の時点で500円分くらいの価値はあった。最中さんの小説をもっと読んでみたいですよ。ああー……どうでもいいけれど、藤原さんて呼ぶのは変な感じだ。(笑) 本当は本文を引用しながら感想を書こうと思ったのだけれど、それをやると作者さん的には相当恥ずかしいのではないかと想像し、思いとどまりました。あら素敵な表現がいっぱいウフフな感じだったんですけど。そしてこんな感想にも至らないような駄文を書いているぼく自身も相当恥ずかしいので、そのうち消すかもしれないぜっていうこの脆さ。