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 今、これを観ないで何を観る。シアターコクーン野田秀樹 作・演出の「ロープ」を観てきたのだった。初日。出演は宮沢りえ藤原竜也、他。以下怒涛のネタバレ。
 一見してわかるのは、野田芝居としては、とてつもなくダイレクトだということだ。数年前の「オイル」のときも感じたことだが、言葉が直接的になっていて、「オイル」以来の新作であるこの「ロープ」も以前のように何かに託すというわけではなく、生々しい言葉で溢れていた。作風の変化というよりも、そうせざるを得ないという苦しみのようだった。
 プロレスのリングからベトナム戦争へ、というイマジネーションの飛翔っぷりが素晴らしいのだった。しかも違和感なく、ストレートな形で繋がる。それはまさに言葉そのものの力だ。いかにも野田芝居らしい、序盤の何気ない台詞がひっくり返って突き刺さってくる、というような言葉遊びも含まれるが、イメージの昇華という方がぴったりくるかもしれない。
 後半の、(おそらく)凍りついていた客席の空気とぼくの感覚は異なっていて、宮沢りえ演じるタマシイがベトナム戦争において、4時間で全滅したミライという地区の村での虐殺の様子を実況する場面は、深刻に観るようなところではなくて、ショー化された状態というブラックユーモアを楽しむ場面じゃないかと思ってしまった。マーティン・マクドナーの「ロンサム・ウエスト」の終盤の、兄弟のエスカレーションを彷彿とさせた。さすがに声を上げて笑いはしなかったけれど、正直、「おっと、ここで輪姦だー」みたいなのは笑いそうになった。。
 舞台装置の奥の壁には名前らしきものが刻まれていた。これをぼくは目が悪いためによく読めず、レスラーの名前か何かなのだろうと思っていた。歌舞伎座の3階にある懐かしの名優みたいなものかと思ったのだった。ところが、宮沢りえ演じるタマシイがベトナムの出身であることがわかって、ようやくその名前がミライ地区で米兵による虐殺の被害者の名であることがわかった。蜷川演出の「ロミオとジュリエット」で壁が遺影で埋め尽くされているという装置があったけれど、この「ロープ」における上記の「名前」の意味を理解できたときの衝撃は大きかった。虐殺の実況よりもよっぽどぞっとした。
 役者陣は軒並み好演。特に藤原竜也の身体全体から発せられる猥雑さが良かった。「弱法師」のときも思ったけれど、この人は本当にアングラの匂いのする俳優だ。「唐版 風の又三郎」の織部なんてのがは存外ハマるんじゃないかと思う。宮沢りえのピュアさも良かった。「透明人間の蒸気」のときもそうだったけれど、この人にだけ特別なライトがあてられているみたいに輝いている。あと、女形じゃない野田秀樹は久しぶりだ(笑)。歌舞伎の「研辰」や「鼠小僧」で感じた、「野田秀樹の出演しない野田芝居なんて……」っていうのがよりはっきりとした。やっぱ野田さんがいないとダメだよなあ。
 何か感想がうまくまとまらなくて困るが、とんでもない芝居だったことは確かだ。衝撃という点からみると、今までの野田芝居の中でもトップクラスだった。とりあえず、7日発売の新潮に掲載される台本を読んで、もう一度観たい。チケットは……まあ、どうにかしよう、ヤフオクとかで。