読了した

真景累ケ淵 (岩波文庫)

真景累ケ淵 (岩波文庫)

 三遊亭円朝の「真景累ヶ淵」。
 これが本当におもしろい読み物で、最近何かを読んでいてこんなに楽しめたことはないくらいだった。分厚い文庫本で1000円くらいするのだけれど、元を取るどころか、倍くらい払ってもおつりがくるくらいおもしろかった。
 「累ヶ淵後日の怪談」として作られたものの、全編を通して怪談味が強くなる場面はさほど多くなく、むしろ色と欲に溺れる市井の人々が織り成す人間劇場という趣きだった。
 彼らはほとんどが弱くずる賢く利己的なのだけれど、そこが社会でうごめく人間の姿を生世話で描くことに成功している所以であるとぼくは思った。登場人物の多くは呆気なかったり、あるいは非業の最期を遂げるのだが、この長大で群像劇に近い物語の中で、おそらくは最も主人公に近い存在である新吉の最期には強烈なカタルシスがあった。
 その新吉の最期も含めて、四世鶴屋南北の「東海道四谷怪談」と似ている箇所があって、それがどこなのかというと、一つはそのまんまなのだけれど、第四十三場における新吉お累であって、すなわち蚊帳を巡る場面だ。蚊帳を無理矢理に奪って質入しようとする新吉と、赤子のためにも蚊帳だけは渡すまいとするお累のやり取り、そしてお累が掴んでいる蚊帳を無理に引っ張って、お累の爪が剥がれて血まみれというところは四谷様の引用なんじゃないかと思う。ちょっと調べた限り、四谷様の初演は1825年、円朝が生まれたのは1839年だから、おそらくは円朝が四谷様の趣向を貰ったのだろう。でもあくまで推測。ぼくは研究者じゃないから、実際はわからん。そもそも、累伝説の中に蚊帳のエピソードがあったのかもしれない。
 もう一つは新吉とお賎をめぐる、近親相姦のエピソード。大南北の四谷様にはお袖直助の近親相姦の因果は組み込まれているけれど、その最期も含めて、この「真景累ヶ淵」の終盤にも近親相姦によって畜生道に堕ちる二人が描かれる。もっとも大南北だけではなく、例えば黙阿弥の「三人吉三廓初買」にもおとせ十三郎という近親相姦が描かれるわけで、グロテスクなタブーとして、知らず知らずの近親相姦は、悪趣味ながらも趣向として好まれていたのかもしれない。
 さらに長い話の終わりが仇討ちで終わるというのも四谷様と同じだ。そこに至る経過は全く違うし、たまたまなのだろうけれど。
 仇討ちで終わるということは結構興味深い。これだけで、後味というものが段違いになる。前に書いたようにこの「真景累ヶ淵」には弱さを持った、色と欲に魅入られたかのような人物ばかりが登場するが、後半に入ると花車重吉や忽吉、お隅、多吉のような真人間も登場してくる。彼らは仇討ちの筋に関わる登場人物で、どうしようもなく弱い人間ばかりではなく、彼らのような者が強く存在し物語を運ぶことによって、希望みたいなものが少しあるのかなって思った。作劇上の都合というものもあるのだろうけれど。
 おもしろいのは、この「真景累ヶ淵」を歌舞伎化するときに木村錦花がホンを書いたということ。「研辰の討たれ」で仇討ちへの疑問を投げかけた木村錦花が書いたというのはおもしろい。最も、木村錦花が書いたホンは仇討ちとは関係ない箇所を抜き出したものらしいのだけれど、少なくとも全編に目を通してはいるのだろうだから、どう思ったのかは興味深い。「真景累ヶ淵」後半では仇討ちの否定を説く坊さんが登場するのだから。
 円朝の「真景累ヶ淵」についてはここら辺にしておくとして、この「真景累ヶ淵」を映画として仕組んだものが今夏公開される。題名は「怪談」。あの「女優霊」を撮った中田秀夫監督作なのだ。そして主演は「犬神家の一族」でも好演した五代目尾上菊之助である。何だかんだで音羽屋贔屓で、ホラー大好きなぼくとしては楽しみなことこの上ない。レイトショー公開の「追悼のざわめき」が裏期待度No.1なら、「怪談」が表の期待度No.1だ。ライオンズゲートの配給で世界公開というのはどうかと思うが、菊之助も出ることだし、期待して待とうと思う。
 問題はこの長い原作をどう刈り込むかということ。難しいね。でも、いい映画ができると信じたいし、とても楽しみね。