「隠された記憶」

 ミヒャエル・ハネケ監督作であり、ぼくの好きな女優であるジュリエット・ビノシュ出演作である。

「隠された記憶」
テレビ局の人気キャスター・ジョルジュは、編集者の妻アンと一人息子ピエロの三人で平穏に暮らしていた。そんなある日、一本のビデオテープと不気味な絵が何者かによって送りつけられる。テープには、ジョルジュの家の前の風景が延々と撮影されていた。それから次々と届くテープには、徐々にプライベートな風景が映し出されるようになり、一家は身の危険を感じ始める。そんな中、ジョルジュは子供時代の“ある出来事”を思い出していく…。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD8864/index.html

 この筋立てを読む限り、謎とスリルに満ちたサスペンス映画にように感じられるかもしれないが、エンタテインメント性は皆無といっても過言ではない。逆にいえば、いかにもハネケらしい映画になっている。
 一見してわかる長回しの多さというのが特徴で、「ファニーゲーム」でもそうだが、場面転換の瞬間も非常にゆったりとした時間を使っている。カットで割ってテンポを作るのではなく、ひたすらスケッチしているように長いカットを作って、全編を構成している。カメラの動きは妙に滑らかなときがあるんですけど(笑)。
 説明的なせりふも映像もない。実に淡々とした映像で作られる2時間弱で、緊張感というよりも居心地の悪さみたいなものが目立つ。わかりやすさという意味では「ファニーゲーム」の方がわかりやすい、たぶん。淡々と撮っているわりにいたるところにヒントめいた場面があるのが意地悪だ(笑)。水泳大会のシークエンスとか一回観ただけじゃわからないんじゃないか。カンヌの客は目が肥えているのだろうな。
 大好きなジュリエット・ビノシュは本当に好演で、主役はあくまでビノシュの旦那の方なのだけれど、中盤あたりをぐいぐい引っ張っていたのはビノシュだと思った。ただ、ビノシュだけでなく、この映画の撮り方は俳優はキツいと思うんだよね。ずっとカメラを回されているわけだから。長回しはテンポを刻むような感じにはならないけれど、緊張感が妙に高まっていくんだよね。それはストーリーや映像ではなくて、俳優やスタッフたちの緊張に直結している気がする。ぼくは映画を撮ったことも役者をやったこともないのでわからないけれど、そう想像した。
 長回しといえば、エンドロールにそのまま繋がるラストのシークエンスだ。衝撃かどうかはともかく、びっくりすることは確かだと思う。居心地の悪さが沸点に達する感覚。以下私信になるけれど、これを小説でやるのは難しいと思います。というのも、スクリーンに映る映像の場合はどこを観るかというのは観る側の勝手じゃないですか。だから、この「隠された記憶」のラストのカットでいえば、とんでもない事態に全く気づかないままの客もいるわけです。コレは間違いないと思う。長回しは観る側にとっても辛い(笑)。集中力をごっそり持っていかれてしまうから。それはともかくも、見逃される可能性も含めてのあのいやらしい(笑)ラストシーンだと思うんですけど、でも小説だと、やっぱり文字の情報として書かれているものは必ず目を通すはずだから、長回しの映像以上に読み手は書き手の意思を読み取ろうとするんじゃないかと思います。だから、あざとさとかわざとらしさとか、そういう部分が強く出てしまうのではないのかな、と。いやらしくもあり、しかしさらりと撮ってしまっているようなあの感覚は難しいっすよ。ほんとハネケは豪腕。意図的に読み飛ばさせる文章というのをこしらえることができれば、あるいは……という感じじゃないかとぼくは思います。難しいな……。
 さて、映画の話に戻りますが、この映画のクライマックスというのはこのせりふなんだと思う。

「疚しさとは何かと思っていました。これで分かりました」

 自殺のシーンやラストの長回しよりも、ぼくにとってはこの場面が一番ぞくぞくしました。事態がはっきりするわけではないけれど、全編が腑に落ちた瞬間だったし、この訳が正確かどうかはともかく、このせりふが全てだと思った。こんなにこわいせりふはないですよ。
 ほんとにハネケって人はとんでもない映画ばかり撮りますね。だんだん病みつきになってきちゃうよ(笑)。