パンズ・ラビリンス(ローズ・イン・タイドランド)

 前々から楽しみにしていた「パンズ・ラビリンス」は公開日翌週に観ていたのだった。いいダークファンタジーだった。以下、この映画だけではなく、「ローズ・イン・タイドランド」、「マシーン日記」についても怒涛のネタバレ
 観る側の捉え方でこの結末がハッピーエンドなのかバッドエンドなのかは変わるだろうし、後味というものも大きく変化するだろう。そういう作りになっているからしょうがない。ただ監督のギジェルモ・デル・トロの目線はオフェリアに向いていて、せめて映画の中でだけでも彼女を救おうとしたのだろうなと感じた。だから、ぼくにとっては後味のいい映画だった。
 そもそも、オフェリアが出会った幻想が彼女の妄想だったのかどうかという疑問がたぶん映画を観終えたところで生まれるのだろうけれど、ぼくはこれも「ローズ・イン・タイドランド」やレイナルド・アレナスの「夜明け前のセレスティーノ」に触れたときと同じく、子どもの目には実際にそう見えていたのだと思いたいところです。そうでもないと救いがなさすぎるよ……。
 「ローズ・イン・タイドランド」では主人公のジェライザ=ローズは生き残る。「ローズ・イン・タイドランド」は昨年公開の映画で、これもダークファンタジーの傑作だと思うのだけれど、たまたまシネマヴェーラ渋谷の特集上映に組み込まれていたのでまた観てみたのだった。この映画の主人公ジェライザ=ローズと「パンズ・ラビリンス」の主人公オフェリアを比較すると、オフェリアがもう幻想に頼る他ないくらいに追い詰められた現実の中にいるのに対して、ジェライザ=ローズはもっとしたたかというか、あの親にしてこの子ありというか(笑)、強靭さとかリアリスト的な要素が含まれている。その分が結末を差を生んだのかもしれない。まあ他にも時代背景の差もあるのだけれど。あと監督の差もか(笑)。
 オフェリアは死をもって、父も母もいない現実から離れることで救済されるのだけれど、「ローズ・イン・タイドランド」ではジェライザ=ローズの非日常が「せかいのおわり」を通じて現実の世界と地続きになるところで幕となる。どっちが残酷かというと、過酷な世界を生き続ける後者だと思うのだけれど、観る側としては主人公が死んでしまう「パンズ・ラビリンス」は相当きつい。もちろん映画としては両方とも傑作だと思います。両方とも好きだ。
 ただ「パンズ・ラビリンス」はせりふが全部スペイン語なので、スペイン語を学んだ身としては気になる部分がいろいろとあって困った。まず、父親であるビダル大尉がオフェリアとオフェリアママンを出迎える場面の"¡Bienvenidos!"ですよね。おれの拙いヒアリング能力でもここははっきりとわかった。Bienvenidos。これはひどい(笑)。スペイン語の単語には男性形と女性形があって、妻と娘を出迎えるのなら、"¡Bienvenidas!"となるはずなんですけど、大尉には腹の中の子供しか見えていないというね、ひどい視線がある(笑)。スクリーンを観ながら、「こいつwwww」って思った。ただこの大尉も孤独ですね。全編通して"capitàn"としか呼ばれていないんじゃないかと思うんですけど、スペイン語の場合、「君」と「あなた」に違いがあって、二人称の呼びかけと三人称の呼びかけというのがありますね。英語だとただ"you"なんですけど、スペイン語だと"tù"(君)と"usted"(あなた)があって、前者が二人称、後者が三人称になり、後者の方が余所余所しい表現ぽくなる。大尉はずっと三人称で呼ばれてた。逆に、たとえばオフェリアはママンに対して二人称的な呼びかけをするところがあったし、メルセデスへも二人称で呼びかけてた気がした。正直詳しく憶えていないけれど、そんな気がした。正確じゃなくて、ごめん。スクリーンプレイがないのでわからないのだけれど、英語とは異なり動詞の活用も違うので、ここら辺はよくわかる。
 そんな孤独の中で、大尉はモンスター化する。後半の妙なしぶとさとか裂けた口はこの映画に出てくるクリーチャーよりもグロテスクな意匠になっていたと感じた。手の目みたいなクリーチャーもカエルもどこかこっけいさがあったけれど、大尉のビジュアルはおっかないし、生々しくてグロテスクだと思った。
 松尾スズキの「マシーン日記」は「オズの魔法使い」をモチーフにしていて、終盤、三人の登場人物が「オズの魔法使い」の三人組の格好を極めてグロテスクにトレースしたようななりになって、悲惨な結末を迎えるのだけれど、生身の人間がモンスター化していく様を観ながら、同じような気味の悪さとやりきれなさを感じていた。これはおそらくギジェルモ監督のファシズムへの批評だと思うのだけれど、そこだけで終わらないのがいいところで、最後の最後で大尉が人間性を見せるというのが意地悪ながらもまっとうな描き方だと思った。大尉の最後の場面があることで、彼は彼の正義にのっとって動いていたのだと観る者に感じさせるのだと思うのですよ。大尉はヒール担当ですけど、人間描写が分厚いのでむかつくだけのキャラクターにはなっていないし、それは監督の優しさだなって思った。
 俳優陣は、オフェリア役のイバーナ・バケーロは堂々たる芝居だったと思う。「機械仕掛けの小児病棟」でちょろっと出てきたときも鮮烈なイメージを残してくれたけれど、主役になってなおさらよかった。ほんと萌えるわ。憂いを含んだ目線がいいんですよね。"¡Hola!"の歯切れがよくて素敵。あとやはり大尉役のセルジ・ロペスはうまい俳優ですね。主役はイバーナに任せて、自分の役割を理解した上でのほとんど完璧な芝居だったと思います。カメレオン俳優の予感。
 あと映像が良かった。現実世界は青っぽい色を強くしていて、オフェリアの幻想の方はもっとはっきりした色になっていて、最後オフェリアがお姫様として帰還する場面で一気に黄色を強くしたような鮮やかな映像になるという、このセンス。画面自体がぱっと輝くような感じで、危うく泣くところだったぜ。「ローズ・イン・タイドランド」でも映像の色使いがいいなと思ったけれど、この映画でもそうだった。場面場面で違うっていうのは。ファンタジーの特権なのかしら。
 ところで、「パンズ・ラビリンス」にも「ローズ・イン・タイドランド」にも「事故なのよ」というせりふがあったけれど、この年代の少女の言い訳として、「事故なのよ」はメジャーなのかなって思った。おれも困ったときは「事故なのよ」って言おうかな。