恋空

 今、ランキングで1位で話題沸騰の「恋空」を観た。巷ではボロクソに叩かれているが、そこまでひどい映画ではないとぼくは思った。ていうか、ガチ底辺の映画ってこんなもんじゃないと思うんだよね(笑)。以下、様々な激しいネタバレ。
 まず何が問題かというと、長い。129分はどう考えても長すぎで、それにくわえて緩急に乏しいからとても緩慢な印象を受けました。最近は全体として上映時間が伸びている印象があって、ちょっとどうかと思う。もちろん「ゾディアック」や「恋人たちの失われた革命」、「インランド・エンパイア」のようにこの長さのものを作らないとダメだったというところまで来ている場合はいいのだけれど、ただ長いだけの映画はきついですね。この映画はまずそこで躓いた。100分に収めるべきだったと思います。
 そのためにはやはり脚本の整理が必要で、もうちょっとエピソードの数を減らした方がよかったのではないかというところです。一番端的なのは家族の不和を描く場面で、家族の崩壊と再生というのはあのようなちょっとした描き方ではどう考えても不足です。家族の崩壊と再生を比喩ではなく物理的に描いた「逆噴射家族」という石井聰亙監督の傑作がありましたが、あの映画くらい真正面から向き合わないと描ききれないテーマであると思います。この「恋空」という映画ではサイドエピソードして組まれてあって、主人公とは(同じ家族でありながら)少し遠い場所で起こる事件として描かれている。にもかかわらず、不和の解決を促すのが主人公ミカと二人目の彼氏であるユウというのがシュールなところですが、やっつけ仕事のように解消するエピソードで、しかも幕切れへ向かう劇の中でほとんど本筋とは関係がないし、ミカ自身もリアルに両親が離婚した将来を考えているのではなく、家族が離れ離れになるのがただ単に嫌だからという理由で止めていた。まるで下北沢の再開発はどうでもいいけど、スズナリがなくなってしまうのは何か嫌だと思っているぼくのようですが、問題はミカの家族への希薄感だと思います。これはミカ自身が家族と距離を置いているのではなく、とにかく描写が不足しているのだった。家族が離れ離れになっていっているということをせりふで説明する場面があって、正確ではないけれど概ね「昔は大きな皿に全員分のおかずを持って取り合っていたのに、今は一人一人別々の皿に盛られている」というようなことをユウに漏らす場面がある。これが愚かなことで、わざわざせりふで説明しなくても、家族の食事の場面を作ってさりげなく映すだけで観客は理解できるだろうに、どうしてそこを映さないのかが理解できなかった。そこ撮れよっていう。せりふで説明をしなくても、そういう映像の積み重ねでじゅうぶん崩壊へ向かう家族は描けるはずなのだけれど。おそらくは尺の都合なのだけれど、だったら家族の劇の部分は全部カットすればよかったのにと思った。その分を若者たちにスポットをあてて、丁寧に作っていけば、もうちょっといい映画になっていたかな、と。脚本がなあ……。
 とにかくこの映画は緩急に乏しくて、おそらく結論があって過程を作っているのだろうと推測している。特に冒頭の方だけれど、ミカとヒロが付き合い始めるということを前提として、見染めから携帯電話でのコミュニケーション、そしてプールサイドでの顔合わせとなるのだけれど、ここに不自然さを感じたのはぼくだけではあるまい。だいたい携帯を落とすのはいいとして、拾った人間がメモリを全部消すとか常識で考えてありえないし、そんなことされたらキレるどころじゃないと思う。いくら色恋があったとしても。脚本の失敗だと思う。しかし出来上がってしまった脚本でどうにかするしかないので演出の腕の見せ所なのだろうが、この監督はもうどうにもダメで、結局不自然さしかないような恋の始まりになってしまった。これはよくないよ。俳優の身体と演出でどうにかこうにか誤魔化さなければならなかったはずなのだけれど、どうにもならなかった……。「百年の絶唱」なんか都市から紀州まで走っちゃうんだから、そんなのは映画的にはたいしたことじゃないんじゃないかと思うんですけどね。ただちょっと役者が辛いかなとう感じはあった。ヒロ役は一貫性のないというか、前シテと後ジテに別れてしまっているような役で、前半は色悪のニンが入っているようだったけれど、後半はもどりになるみたいな感じなので、役者はやりづらいだろうなと思った(笑)。中盤は熱血漢だしね。脚本家の都合にあわせて性格付けをされているのではないかとさえ思った。むつかしいですよ。がんばっていたとは思うんですけど、厳しいね。ああ、若い頃の原田芳雄とかね、ああいう色気ムンムンの俳優じゃないと務まらないんじゃないかな。
 この映画にメリハリがないのはきっとエピソードが羅列されているからであって、ぐっと収束していくような巧妙さがない。原作がそもそもそういう出来なのかもしれないが、原作と映画は別物なのだからして、もうね、がんがんカットしていくべきだった。と思ったのだけれど、mu.さんのブログで引用されているあらすじを読むと、これでも相当カットしたんですね(笑)。原作すごいな。ジェス・フランコならこれから30本くらい撮れるぞ、たぶん。
 出来事を追うことに必死になっていて、どうにも人間が描けていない。ちょっとした生活のスケッチがあると奥行きがでるし、タメにもなると思うんですけど、花壇の場面とか河原の場面とか、キャラ設定を説明するだけにとどまっているようで薄っぺらかった。そうじゃねえんだよな。例えば歩いている二人をサキ目線で撮るとか、そういうのが必要なんだよ。そう、サキね。ヒロの元カノなのだけれど、登場の仕方がいちいち唐突で、最後の病院の場面に至っては「誰だっけ?」と思ってしまったくらいだった。彼女の出番もよくわからないんだよなあ。ドラマを作るためにいいように使われているようにしか見えない。ここでもやっぱり人間描写が不足している。エンタメ的には魅力的なヒールが必要。
 サキといえば、彼女の指示によるレイプシーンがあるんですが、ここはまあまあ良かったね。サキの仲間にバス停で拉致されて花畑(チューリップかな。あの赤い花は)でレイプされるんですけど、この配色ね。葉の緑と花の赤が鮮やかで、悪夢的イメージがあった。フェリーニブニュエルか。配色についてはもっと光をあてて白っぽくするとか、あるいは「豚鶏心中」の水辺のシークエンスよろしくパートカラーにして花にだけ色をつけるとか、もっとグロテスクなイメージを強めるとことはできたと思うんですけど、この映画は全国公開なので自重したのだろう。ただ、ここは逆に短かったな。もっとじっくりレイプを描くべきだった。不愉快さがあったので、まっとうな場面だったと思う。ガッキーがあっさり車から逃げだせたのはよくわからなかったけれど。欲を言えば、音楽にもうちょっと気を使ってほしかった。全体的に選曲が良くない、この映画。配色をどぎつくして、せりふとか物音をなくして、ポップソングでもかければ、極めてエグい場面になったはずで、ちょっと惜しかった。
 やっぱり脚本と演出がダメだと思う。具体的にいえば、サキに対してミカが「ヒロはモノじゃない!」と怒鳴る場面があるのだけれど、その後でユウがミカに「お前は俺のモノや」と言う場面が出てくる(ミカは満足気)。これはもう致命的にダメだと思った(笑)。もしかしたら原作通りのせりふなのかもしれないのだけれど、これは直さなきゃまずいのではないかというところです。フェミニズム的にまずいんじゃないか。観た直後はよく企画通せたねって思った(笑)。まあ、せりふは全体的にまずいんですけど。演出についても、主役であるところのミカがどうにもうまく描けていないのがきつい。せめて、ユウと付き合いながらもヒロを忘れていない的な描写がもう少しばかりあればよかったのだけれど、めちゃくちゃ楽しそうな大学生ガッキーを映しちゃうものだから、後半の展開が唐突に思えてしまうんじゃないかなあ。
 それに、やっぱり役者を魅力的に撮れてないというのがあったと思う。ガッキーはじゅうぶん魅力的ではあったけれど、それはガッキーそのものの素材としての魅力であって、それ以上のものを引き出せていなかった。ウディ・アレンは「アニー・ホール」でダイアン・キートンをこれ以上ないくらいに魅力的に撮ったけれど、この映画ではそううまくはいっていなかった。それは女優に限った話ではなくて、サム・ペキンパーの「ガルシアの首」のウォーレン・オーツですよね。決してイケメンではないと思うのだけれど、恋人を殺され破滅へ突き進んでいく男の姿に色気を感じずにはいられない。しかも幕切れに向かってどんどん増してくるっていうね、本当、ペキンパーはそういうのを撮るのが尋常じゃないくらいにうまい監督なんですけど、この「恋空」にはそういうのが一切なかった。素材としてはいいんだけど、各俳優から何一つ引き出せていなかった。シナリオがクソでも、俳優の魅力があふれていれば、ある程度成立する部分があると思うんですが、特権的肉体論的なね、そういうあれですけど、でもこの映画は両方ともダメだったな。「逃亡くそたわけ」が美波と吉沢悠の魅力に溢れた映画だったのとは対照的だ。
 良かったのはテレビテレビした作りにはなっていなかった点だと思う。幕切れ近くの、川沿いを走る電車のシーンは良かったね。映像は悪くなかった。これは撮影の山本英夫さんの手腕なのかな。引き目の絵は結構好きだったな。ただ、あれだ、CGの鳩はいただけなかった。ミカが身を投げようとして思いとどまる場面。鳩で思いとどまるのはいい。問題は鳩をCG処理してしまったことで、ここは実際に飛ばすべきだろうって思った。少なくともあの質感では自殺を思いとどまることはないだろうって思った。何でもCGでやればいいってもんじゃないんだ、バカタレが。ここでぼくはちょっとひいてしまった。
 役者陣は、まずガッキー奮闘公演的な趣きだった。出ずっぱりだものな。レイプあり死産ありとよくがんばった。あとはさほど印象に残らなかったけれど、小出恵介はなかなか手堅かった。彼が出てくるとちょっと安心できた(笑)。ガッキーのパパ役は大杉蓮に任せればよかった。高橋ジョージは「っぽい」雰囲気を出しているだけで、ハラがない。浅野ゆう子麻生祐未香里奈あたりはノーインパクトで、やっつけ仕事なのかと邪推してしまうくらいだった。ほとんど、役者陣はボロボロですね。ジョージはともかく、他は地力のある俳優だから、やっぱり監督の力が……。
 ただ、世の女子小中高生がこの映画で泣くっていうのもわかる気がした。何だかんだ盛り上げてるしね、後半。ぼくも「どうにか死なせないで終わる方法はないものか」と考えていたし(笑)。上映前の「マリと子犬の物語」のトレイラーですでに泣きそうになるくらいに涙もろいおれだから、あんまり参考にはならないか。この世界がリアルなのかどうかはわからないし、ぼくにとっては「国道20号線」やポツドールの方がよっぽどリアルなのだけれど、でも共感する人はいるだろうなと思った。ぼくは共感しないけど。リアリティーも感じなかったし、むしろ若い世代のメロドラマという雰囲気ですよね。だから、共感できない。でも何に泣くかっていうのは人それぞれだから、この映画に感動するっていうのはわかる。たぶんそれは、ぼくは「追悼のざわめき」で観るたびに泣きそうになるけれど、おすぎは「汚らしいだけ」と切って捨てた、そういうことなんだろうと思います。もっともぼく的にはエンドロールのミスチルは「ブリッジ」のエンドロール並みにありえないんですけど(笑)。感想なんて人それぞれでいいじゃないか、人間だもの。
 ガッキーかわいいよガッキー。(←結論)