アートシアターギルド

 今月六本木のシネマートという映画館でアートシアターギルドの特集上映が行われている。ぼくも好きなものだから、二度ほど足を運んだのだった。本当はもっともっと観たかったのだけれど、どうにも時間と気力がなかったのである。残念だ。もう一回くらい観に行ければいいなと思っている。ていうか、アップリンクの特集上映と重なり過ぎなんだよちくしょう。
 で、その内の一度で、松本俊夫監督作の「修羅」を観た。ぼくが大好きな四世鶴屋南北の「盟三五大切」が原作とくれば観ないわけにもいかないのだった。
 ぼくは大南北の狂言は軒並み好きなのだけれど、「盟三五大切」は特に好きだ。「東海道四谷怪談」や「桜姫東文章」に比べれば短くまとまっているし、「貞操花鳥羽恋塚」みたいに筋が複雑な上に顔見世のやり方で余計にわからないものになっていることもない。現行の上演だと休憩込みで3時間ちょっとなので、南北ものでは上演の機会が多い方だと思う。ぼく自身二度観ている。初世尾上辰之助さんはどうってことないと言っているけれど(笑)、ぼくはおもしろい芝居だなあと思う。
 それはともかくこの「修羅」という映画は大南北の台本をそのまま使っているわけではなくて、原作として尊重し、以前に青年座が「盟三五大切」を出したときに作った石沢秀二さんの台本を使って脚本を書いている。ぼくは「アートシアターギルドの映画だし、結構別物になっているのではないか」と思っていて、しかも「盟三五大切」は相当好きなお芝居なものだから、あんまり変なことをされると嫌だなあとも思っていた。ところがどっこい、原作には忠実で大南北のエッセンスもあり、何とも素晴らしい出来の映画でございました。これは傑作。
 もうね、冒頭からモノクロの映像が奇麗で綺麗でうっとりしてしまった。照明の当て方なのか何なのかわからないが尋常じゃないくらい深い黒色と、白のコントラストがとにかく鮮烈だった。闇に浮かぶ「御用」の提灯とそれ以外は一切が見えない深い闇。ノックアウトだった。街灯もネオンもない、江戸の闇があったように感じられたし、何かが始まるぞという予感を感じさせるにじゅうぶんだった。
 冒頭はまず歌舞伎の三五大切とは異なっていて、追手から逃げる源五兵衛が映される。歌舞伎だと船の場面なんですけど。青年座での上演がどうであったのかはわからないけれど、ここはかなり動きのある場面なので、映画オリジナルなのかなと思った。源五兵衛の「大星殿! 大星殿!」というせりふで忠臣蔵の世界であるということを最初っから宣言していて、わかりやすくていいですね。原作準拠でしっかり「仮名手本忠臣蔵」の役名にしているところが憎いところですけど(笑)。
 序盤は花魁が貧乏浪人である源五兵衛の長屋へ来る場面もなく、縁切りまでをかなり削ぎ落としたシンプルな形になっていた。浪宅の場面は舞台効果というか、やはり対比の絵があってのものなので、映画でやってもあまり効果的ではないかなと思った。製作費の都合もあるのかもしれないのだけれど。そういえば、八右衛門が若党ではなくて、年老いた下男になっていた。これも映像でやることを考えての書き換えなのかもしれない。演じた今福正雄さんの手堅い名演もあって、この八右衛門という役が尚更いい役になっていた。泣ける……。登場人物の忠義のベクトルがねじれている中で、八右衛門だけはまっすぐに主人と仇討ちを見ている。そして善人であり、まっとうな人間であるというのに、劇中で一番報われない。悲しいね。ほんと、今福さんは名演でした。
 ていうか、役者陣は軒並み好演でしたね。主役になる中村賀津雄の源五兵衛、三条泰子の小万、唐十郎の三五郎は本当に素晴らしい芝居でした。ブラーボ。以前歌舞伎で観たときの吉右衛門仁左衛門時蔵のアンサンブルに負けず劣らずのものでした。
 縁切り後、五人斬りになったあたりからいよいよ劇は陰惨なことこの上なくなるのですが、血糊の量がすごくてね、畳が血の海になるくらい使っていて、度肝を抜かれた。終盤の小万殺しに至っては、赤子殺しも含めて目を背けたくなるくらいの残酷さだったと思う。ただのグロじゃなくて、がっちりとした人間描写、ドラマの果てのものだから、余計にきついものだった。赤子殺しの場面は恐ろしすぎる。歌舞伎だとどうしても錦絵的な残酷美があるしツケ打ちも入るから、残酷ではあるけれど、目を背けたくなるほどのものではなかった。深川五人斬りの場面も小万殺しも実際に映像にするとこんなにも残虐になってしまうのかと驚きました。ていうか、これを美につなげる歌舞伎もすごいといえばすごいですけど。
 「盟三五大切」は塩治浪士が薩摩源五兵衛実は不破数右衛門を迎えにくるところで幕切れとなるのだけれど、この映画では本当に救いがないものに書き換えられている。主人の顔を知らないばっかりに、主人のための金を主人その人からだまし取り、その結果、主人は大量殺人に至り、女房子供も惨殺される。歌舞伎では三五郎はすべての罪を引き受けて、どうにか薩摩源五兵衛実は不破数右衛門には仇討へ加わるよう願うが、この映画ではそのようなことは起こらない。歌舞伎では薩摩源五兵衛と不破数右衛門とは全く別人なのだけれど、この映画では地続きになっている。だからこそ結末では源五兵衛のままどこかへふらふらと歩いていってしまい、仇討の一味には加わらなかったと明示されて終わる。ただの一人も報われない劇になる。その前に三五郎の血を吐くような述懐がある。

もう何も見たくも聞きたくもござんせん。
たとえこの世に陽がさそうとも、このうじ虫野郎は闇にはまるばかりでござんす。
思えば無駄な一生でござんした。

 これはすごいよ。大南北もあの世で膝を打っているんじゃないかって思った。鳥肌どころじゃなかった。このせりふの力に唐十郎のからだの強さが加わるわけだから、この場面はすさまじい。この映画を今まで知らなかった自分が情けなくなった。
 しつこいくらいに同じシーンが別角度から繰り返されたり、あるいは一度進んだシーンが巻き戻って、実は源五兵衛の妄想だったとわかるというシーンがあったりと実験的な場面も多いけれど、やはり人間をしっかり描いているから前衛だけじゃないというか、力強い映画になっているのだろうなと思う。あとは役者の力もあるし、元々の「盟三五大切」自体の完成度もあるのだろうけれど。結構まんませりふを使っているところもあったし。例えば小万殺しの有名なせりふはそのまま使ってた。少しは言い替えていたけれど、こんな感じのせりふ。

小万「こなさんは鬼じゃ、鬼じゃわいなア」
源五「いかにも鬼じゃ。身共を鬼には、汝ら二人が致したぞよ」

 この映画には本当に度肝を抜かれたというか、観終えた後は言葉が出なかったくらいでした。大傑作。