松井良彦監督の復活

 80年代、日本の自主制作映画の一つの頂点といってもいい傑作「追悼のざわめき」を送り出した松井良彦監督の22年ぶりの新作がついに公開された。場所は東京、渋谷、ユ ーロスペース。当然のように初日に駆けつけたのだった。以下、松井監督の「錆びた缶空」、「豚鶏心中」、「追悼のざわめき」のネタバレもあり。
 観終えてまず思ったのはフィルム撮りで観たかったということだった。フィルムにはフィルムの、デジタルにはデジタルのメリットがあるというのはわかるし、例えば石井 聰亙監督もpanasonicのDVX-100で撮影をして、その可能性に気づいたとインタビューで語っていたけれど、この映画に関してはデジタル撮影のデメリットがかなりあったよう に感じた。映像の強度があまりないというか、ビデオ撮りの安っぽさみたいなのが特に序盤に目立っていた。
 「追悼のざわめき」DVD-BOXのインタビューや、あるいは上映会でのトークショーなどでもこの「どこに行くの?」の製作費が1000万円だったということ、撮影は13日間で終 えたということは監督自身が仰っていて、大変だったんだろうなと思う。アートシアターギルドは基本的に予算1000万で製作していたはずだけれど、今の時代に総製作費1000 万というのは相当きついはずだ。そういえば、公式サイトのイントロダクションに「かつてのATG映画が担っていたような」とあるけれど、まず製作費はATG状態なんですね。
 その総製作費1000万円の結果、フィルムでの撮影は無理だと判断したのだろうか。撮影期間といい製作費といい、「追悼のざわめき」のときのような独立プロダクション状 態での製作とは違うから、松井監督も大変だったのだろうとは思う。松井監督の日記を読むと、編集作業を含めてほとんど一ヶ月で完成に至っているようだ。「追悼のざわめ き」の完成までに数年の時間がかかったことを考えると、驚くほどに短い時間だと思う。これはデジタル撮影のメリットだと思うんですよね。塚本晋也監督が語っている通り 、デジタル撮影のノンリニア編集というやり方でスタッフゼロへの可能性というのもあると思うし。
 ただ、この映画に関してはフィルムで観たかったぞ、という(笑)。「追悼のざわめき」が維新派の松本さんから始まる西のアングラ演劇の人脈を総動員して撮影に及んだ150 分という長尺の大作であるのに対して、この「どこに行くの?」は柏原収史演じるアキラを主人公とした小品となっている。「追悼のざわめき」は複数の登場人物が織りなす 群像劇に近いような作りだったけれど、「どこに行くの?」はあくまでアキラを核とした映画だった。だからこそねっとりと撮影して欲しかった。どうしても映像的に一つフ ィルターがあるような気がして、特に序盤から中盤は距離感みたいなものを感じてしまった。
 それが決定的に変化するのは後半、ロードムービーの様相を呈してからだ。アキラとその恋人である香里を追うカメラがドキュメンタリーのようなリアリズムを生んでいて 、ここはデジタルの映像の良さが出たところなのかなと思った。追う者、追われる者が被写体なったとき、やっと生々しいリアリズムが生まれた気がする。脚本的には徹底し たリアリズムの劇だし、ファンタジーの要素のある「追悼のざわめき」とはかなり異なっているのだけれど。
 異なるといえば、過去の松井監督作とも異なっているように思えた。というのも、登場人物が疾走するシーンがなかったのだった。「錆びた缶空」にしろ「豚鶏心中」にし ろ「追悼のざわめき」にしろ、登場人物が疾走する場面というのが印象的に用いられている。「錆びた缶空」は石井聰亙監督の撮影によるいかにもシーンがあるし、「追悼の ざわめき」はゲリラ撮影による衝撃的なシーンが終盤に待っている。「豚鶏心中」も路地の中を駆け抜ける魔術的なシークエンスがある。しかし「どこに行くの?」には登場 人物が生身の身体で走るという場面がなかった。それが今までとは大きく異なっていることなのかなと思った。解放ではなく閉塞が描かれて、それは現在が80年代ではなく00 年代なのだということをはっきりと描いているように思えた。もっとも、幕切れはいかにも松井監督らしい奇妙なユーモアと厳しさのあるシーンで、たぶん幕切れだけを切り 抜けば、松井映画の中で一番好みな終わり方だったと思う。「追悼のざわめき」の主人公たちに対して松井監督は「うまくはいかなかったけれど、自分の想いをそれぞれが貫 いている」と語っていたけれど、この映画のアキラもまた自分の想いを貫こうとしている。事故が起こり、香里がいなくなってしまってもなお、「行こうよ!」と叫ぶアキラ の姿は悲痛だが、ものすごく迫ってくるものがあった。そういえば、事故の瞬間の映像はこの映画を象徴していたような気がする。静かに不安定に揺れていた。
 松井監督自身はこの映画について「非常にかわいらしい青春ラブストーリー」と語っているようだけれど、実際そのような感じだった。確かに暴力的なシーンはあるし、生理的な気持ち悪さを感じさせるような人間の行動をはっきりと映しているけれど、この映画の真ん中を貫いているのはアキラと香里の二人の劇であると感じた。だから結婚指輪を買うシーンがとても印象的だったのだ。無造作に金を出すアキラの不器用さと身守る香里。ラブストーリーとしてはもうそれだけでじゅうぶんだった。この二人の関係性は極めて純粋で、どこか幼いものだった。結婚指輪、結婚式を求めるのがその典型であると思う。お互いを好いているのに、愛情をどう表現していいのかわからない。その結果が結婚指輪であり、結婚式だった。だからこそ松井監督は「非常にかわいらしい青春ラブストーリー」と言ったのだろう。
 この映画で心底感心した場面があって、それはアキラによる社長殺しの場面だ。孤児だったアキラにとって工場の社長は父親代わりだったが、幼い頃より性的虐待を受けていた。アキラは繊細で傷つきやすい青年という造形になっていて、大人になってからも執着してくる社長に嫌悪を抱きながらも突き放せない。しかし、社長の気持ちに気づいた社長の妻がアキラに解雇を言い渡す。その翌日、社長がアキラを連れ戻そうとアキラのアパートへやってくる。という流れがあっての殺し場、アキラへの欲望を剥き出しにした社長をアキラは突き倒し、蹴り続ける。衝動が暴発したようなアキラは柏原収史の芝居もあって、すごい迫力だった。そしてたまたま包丁が落下し、社長の片目に突き刺さる。その後アキラがどうするかというと、その包丁を深く差しこんで、ぐりんと回す。これがすごいと思ったし、ぼくだったらここまでしないと思った。少しは冷静さを取り戻しているはずなのに、助けるどころか息の根を止めようとする。人間の感情の灰色さを描いた場面だと感じた。白と黒で割り切ることのできない人間存在の悲しさだった。アキラの頭には憎しみだけじゃなくて、このままじゃヤバいという思いもあっただろうが、それでも包丁を深く突き刺す。観る者の胸をえぐるようなシーンだったと思う。
 役者陣は軒並み好演だった。堂々主役の柏原さんはアキラという青年を見事に体現していた。ラストシーンの悲痛さは今思い出しても鮮烈です。ニューハーフのあんずさんも素人ながら、検討していた。もちろんせりふ術だの何だのがあるわけではないですが、身体があればそれでいいというところまであと半歩くらいだったかな。でもけっして悪くはなかったです。脇の方々はもうがっちりと固めてきたので文句なし。松井監督作にすべて出演の佐野さんをはじめ、朱源実さん、村松さん、三浦さんとどれも難しい役どころだったんですけど、ばっちりだった。佐野さんのニヒルな色気は何なんだろうね。どこか破滅的な役柄だったからなのだろうか。
 フィルム撮りでないという不満点がまずあるんですけど、ホンも演出も役者もいかにも松井監督と思わせるにじゅうぶんな映画だった。過去作と比べるとだいぶマイルドになったかな。逆に低予算でこれほどの映画を撮れちゃうっていうのはすごいことなのかもしれません。松井良彦監督のリスタート作として、ぼくはとても満足でした。これから量産とまではいかなくても、2、3年に1本くらいは作れたらねえと思う。それにしても石井聰亙監督といい松井良彦監督といい、素晴らしい才能のある映像作家が映画を撮れないっていう状況は悲しいね。