アキレスと亀

 北野武監督の新作「アキレスと亀」を観た。以下ネタバレあり感想。
 その前に、コーエン兄弟の「ノー・カントリー」が早稲田松竹で上映されているので観直したんですが、この映画って北野映画の影響下にあるのかなとふと思った。砂漠にぽつんと座っているジョシュ・ブローリンのカットなんてまんまじゃないかと思ったんだけど。どうなんだろう。最初の方に"Who is the last man standing?"みたいなせりふがあって*1、そこから西部劇が強く意識されているのかなと初見のときは思ったんですけど。
 それはさておき、「アキレスと亀」。観ているときはいろんなことが頭をよぎっていて、ちょっと混乱気味だったんですが、ラストシーンで全部吹き飛んじゃった気がする。ありえないだろう、あのシーン。どうやって撮ったんだろうって思ってちょっと調べてみたら、偶然撮れちゃったということらしい。ありえねー(笑)。
 いや、最初は退院の場面あたりから全部たけしの夢なんじゃないかって思ってたんですよ。現実じゃないんじゃないかって。でもあのカットがあるってことは間違いなく生きてるよなあ。
 しかし暗喩というか、北野武の私映画的に見てしまうことは仕方ないことなのだろうか。主人公を中心として、周りに配置された人々が「これはこういうことなのかな」と思えてしまって。叔父さんの家に厄介になっている間に絵を教えてくれた絵描きは映画監督としてデビューした頃に評価してくれた人(淀川さんとか?)。美術学校時代の友人たちは同時期に活躍して消えていった監督たち*2。みたいな感じで。大森南朋演じる画商は批評家でしょう。ハスミンとか。ボケ・ツッコミの切り返しに近くて笑える場面だったからあれだけど、けっこう小悪党っぽく描かれてた気がする(笑)。
 そして樋口可南子演じる奥さんは観客だと思うんですね。最初は才能を信じて全肯定の状態だけど、だんだんと離れていく。「昔の北野映画はすごかった」と言いながら、近作に失望して離れていったファンたち。娘は「ソナチネ」を知らずに最近の北野映画だけを見て才能ないと決めつける客かな(笑)。俺にはそう思えたし、だからこそ最後に樋口可南子に「帰ろう」と言わせることはすごく大きなことだと思った。あの優しい声。それであの最後のシーンでしょ。ぼくは次の武の映画が素晴らしいものになると確信したし、この映画もまた飛び上がることができたと思った。
 あとやっぱり暴力シーンの精度はあいかわらず高いです。寺島進が出てくるところなんかすげーよかったし。たけしが殴る側から殴られる側になってしまったのは残念だけど(笑)。大杉蓮も素晴らしかったなあ。なんだあれは。黒沢さんが書いている通り、武は映画の暴力を知る作家だと思うし、「ソナチネ」をもう一度見せてくれと期待しちゃうよね−。
 でもちょっと複雑なことがひとつあって、ペンキ缶を載せて自転車でカンバスに突っ込んで絵を作る場面。自転車が壊れてから、今後は自動車で突っ込むことになるんですが、運転者が事故死するんですね。そのときできた絵なんですけど、自動車で突っ込んだ絵の方がグラデーションが明らかに綺麗にできていて、やっぱ死なないといかんのかと思ってしまった。うーん、複雑よね。
 感じたことを書き散らしてしまいましたが、武の映画の未来を垣間見させてくれるような映画でした。ここ数作は武ファンのひいき目にみても停滞していたと思うしね。あと、柳ユーレイの部屋にあった絵のひとつが「それぞれのシネマ」の武編で描かれた田舎の映画館だったので、ニヤついてしまった。絵が先なのかあのショートフィルムが先なのか、ちょっと気になった。使われた絵はおもしろいのがいくつかあったなあ。ウォーホル風のやつが特におかしかった(笑)。

*1:実際のところははっきり覚えていないですが、"last man stand"っていう言葉はあったと思う。

*2:いきなり自殺した人は伊丹さんかと思ったけど、伊丹さんは興行的にも一応批評的にも成功した人だから違うか。