活劇の呼吸。

 中川信夫監督の「吸血蛾」をシネマヴェーラで観た。
 イギリスのテレンス・フィッシャー、イタリアのマリオ・バーヴァ、そして日本の中川信夫。1960年前後にこの3人は同時多発的にいくつもの傑作を放っていて*1、活劇のテレンス・フィッシャー、怪奇のマリオ・バーヴァという印象があるんですが、両者のちょうど中間に中川信夫がいるように思っています。
 いいとこどりというか、どちらへもふることのできる技術があり、けっしてバランスを崩さない人。というか、どうすればいいのかというのを的確に判断できる人で、映画の撮り方を熟知した職人であったのは間違いないと思います。
 「吸血蛾」は横溝正史原作のミステリで、序盤から怪奇趣味溢れる傑作でした。こういういかがわしい映画が今は作られなくなってしまったのはしょうがないことなのかな。いや、諦めたくないんだけど(笑)。
 冒頭のシーンを観たときに連想したのはマリオ・バーヴァの「モデル連続殺人!」だったんですが、あれよりも8年前に作られたものなんですね。バーヴァがこの映画を観たとは思えないから、偶然なんだろうけど。モノクロ/カラー、ミステリ/ジャッロ、探偵の存在/不在といった決定的な差はいくつもあるし、別に似ているわけでもないんですが、モデルが次々と……と言われると「モデル連続殺人!」が浮かんじゃうんだよなあ。
 それはともかく、まず最初に感心したのは狼男と呼ばれる男が牙のある口を見せる最初の場面。口を覆っている布を取るんですけど、そこで無音になるんですよ。大きな音で脅かすのではなく、音を消してみせるという演出が効果的で感心しました。もっとも、これはプリントが切れてしまっているだけなのかもしれないですけど。今回の上映ではそんな感じでした。
 他にもデザイナーの女のあとをつける場面での、人の動かし方や影の映し方なんかもサスペンスをしっかり盛り上げてくれるし、何度も出てくる死体の残酷美も映画に色を添えていました。奈落から死体がせり上がってくるところは中川信夫の怪奇趣味の真骨頂なんじゃないのかな。
 そして一番感銘を受けたのは終盤の展開でした。金田一耕助が出てきて推理を始めるんですが、そこはあんまり深く描かれないんですよ。映画的にはそんなのはさほど重要でもないといった態度で、謎解きはあっという間に終わってしまう。普通のミステリであればここで犯人の述懐が始まるところですが、この映画では犯人は「兜を脱ぎたいところだが」とかなんとか言って逃げ出して、廃墟での銃撃戦になだれ込む。
 ここが見事としか言いようがなくて、ぐうの音も出なかったです。まさに活劇の呼吸。またこの廃墟の美術が秀逸で、かなり奥行と高さのあるセット。ここでカメラはあまり動かさずに、逃げる犯人、追う金田一、駆けつける警官隊というアクションが始まる。犯人と金田一がかなり奥の方まで行ってしまって姿が小さくなるところは、黒沢清監督のいくつかのVシネを思い出しました。銃撃シーンにしても、撃つ人と撃たれる人が同時に映っている画面をしっかり作っていたし、相当クオリティ高いと思うんですよね。
 怪奇から出発した映画がミステリを経て、アクションへと変形していく。この流れが実に心地良かった。金田一が真相に辿り着くまでをほとんど省略していたり、犯人の背景を説明しないといったことがさらに加速させているのかもしれない。何が必要で何が不要か、ということでしょう。原作小説はどういう風になっているのか気になりました(笑)。こうなっているのかなあ。
 これでしっかり90分に収めてくる中川信夫の腕はさすがなのでした。もうね、参りました。

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*1:マリオ・バーヴァだけ若干ずれる感じではありますけど。