東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻修了制作

 先週の土曜日から渋谷のユーロスペース東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作作品の上映が行われていました。全部で5本上映されて、「死んだらゲームをすればいい」、「よるのくちぶえ」、「Elephant Love」の3本を観た。どれも素晴らしい出来栄えになっていて、5本全部見たかったなとちょっと悔しかった。以下、「よるのくちぶえ」についてネタバレありで。
 特に遠山智子監督の「よるのくちぶえ」は尋常じゃない出来だったと思います。この方の作品は去年、やはりユーロスペースで上映された「アカイヒト」という短編を観たことがあったんですが、そのときの雰囲気とは大きく異なった、奇妙な家族劇でした。「アカイヒト」はいっけん怪奇映画っぽいんだけど、観念的過ぎてわからない部分もあったかな。イメージの豊さには圧倒された記憶があるんですけど。
 「よるのくちぶえ」は恋人や友人、あるいは近所の大人に恵まれているものの、どこか拗ねたような雰囲気のある少年が主人公。母親との関係も良好で反抗することもなく、日々を過ごしている。でもどっか不満みたいなものも見え隠れするんですが、不穏さはなく、ちょっとアンニュイな日々を送る青春という按配。そこに父親と名乗る男が現れる。男は、最初の15年は母親と、それからは父親と暮らすという約束がなされていると言うのだが……。
 序盤はわりと淡々と少年の日々が描かれて、父親が現れてから物語が動き始めるんですけど、全体的に穏やかな映画でした。例えば母親と父親が争うということもないし、周りの人間との関係が決定的に崩れるということもない。何かを受け入れている人々ばかりで、取り乱すような人がいないんですよね。そこが心地よかったです。現実の中でもがき続ける、みたいなのも好きですけど、こういう落ち着いた作りになっている映画も、一度はまれるとずっと浸っていられるから好き。
 そういうものだから、どこかメルヘンチックにも見えるし、現実性が希薄に見えるところもありました。その一方で、凶暴さを感じたりもしたんですけど。例えば学校の屋上と思われるシーンでも、主人公とその恋人が極端に高いところに座っているし、あとここはどういうところなんだろう?と感じてしまうような場所が何度か出てきてた。でもそれが絶妙に画面に馴染んでて、それは照明とか色合いのせいだと思うんですけど、この映画の空気感を作り出す要因になっていたと思います。
 チラシにもあった、母親と少女の対話のシーンの情緒は確かに素晴らしいものでした。それ以上にぼくが好きになったのは、自分を15年間見守ってきた老人に別れを告げてからの主人公の少年の行動を追った数シーンで、かなり神がかっていたと思います。仰向けに眠る少年を捉えたショットはまるで怪奇映画のようでもあったし、その後、海岸で母の手紙を燃やし、火のついた紙の断片がひらひらと散っていくところは感極まりそうになるくらいでした。
 もう一つ良いなと思ったのは父親と母親の関係の部分。過去この人たちにいったい何があったのかははっきりとは言及されないんですけど、離縁とかそういう状況ではない、でも一緒には暮らせないという状況がしっかり描かれていて、そこが良いなあと思ってしまった。母親が料理をしているところに父親が来て、後ろから抱き締めるシーン。あそこ、素晴らしかったなあ……。その後、また母親が料理を始めるんだけども、父親はその背後に立ったままという演出も。幽霊が立っているようにも見えちゃったんですけど(笑)。なんか、ところどころにある怪奇映画っぽさの先にはカール・ドライヤーがいるんじゃないか、とか思ってしまった。
 冒頭部分、母親の「でも私はお前の目が好きだよ。だから大丈夫」という台詞(正確にはこうじゃなかったかもしれないけど、こんな感じだった。)までを見て、この映画は傑作だと確信した。その台詞が出たときに鳥肌が立ったくらい。最後まで観終えて、やっぱり傑作だと思った。ぼくはこういう映画好きです。観る側に否応なしに緊張を強制させるのは、才能ある監督の特権なのかな、なんて。