暴力の辿り着く場所

 「マーターズ」観てきました。フランス映画祭オープニング作の「夏時間の庭」を観に行ったときにプログラムみたいなのをもらって、そのときから気になっていた映画でした。行きたかったんですけど、オールナイト枠だったので都合を合わせられず行けませんでした。なので待望の初日。
 ここ最近のフレンチゴアの流れにある映画っていうのは実はあまり好みじゃなくて、例えば去年でいえば「屋敷女」も「フロンティア」もあんまり好きじゃありませんでした。だから「マーターズ」もどうなの?っていう気持ちがなかったわけでもないです。ただここ最近のホラー映画の中ではがんばっている方だと感じた。パスカル・ロジェって監督はまじめな人なんだと思う。以下、帰りの電車の中で考えたこと。色んな映画のネタバレありでまとまりのなくつらつらと。

マーターズ
◆70年代初頭のフランス。行方不明だった少女リュシーは、傷だらけで衰弱しきった姿で路上を彷徨っているところを発見される。彼女は廃虚となった食肉処理場で何者かによって長い間監禁・拷問・虐待されており、そこから自力で脱出したのだった。ただし性的虐待の痕跡はなく、目的は不明のまま。一体、誰が?なぜこんなに惨いことを…?
◆15年後のある朝、森に囲まれたごく普通の家庭の玄関で呼び鈴が響く。家主が屋敷の扉を開くと、そこではリュシーが猟銃を構え立っていた。自分を虐待した者たちを見つけたと思った彼女は、復讐を遂げようと引き金を引く。一瞬で血の海に沈む家族。
◆成すべきことを終えたリュシーから電話を受け、屋敷に向かった親友のアンナは、邸内の惨状に思わず目を背ける。死体を処理し、立ち去ろうとする二人だが、そこで恐ろしいものを目にする… …その先で繰り広げられるのは、想像を絶する、熾烈極まりない、極限の苦痛。 あまりに過酷で凄惨な運命。
http://www.theater-n.com/movie_martyrs.html

 これはシアターNのサイトの作品情報で、序盤はおおむねこんな感じで話が進んでいくんですが、もちろん実際にパスカル・ロジェがどう書いたかはわからないんですけど、シナリオは前半と後半で完全にわかれています。前半を受けての後半ではあるのだけれども、文体自体が異なっているように感じた。
 要するに前半はリュシーの復讐が描かれて、後半は組織に捕まったアンナが拷問を受ける様が描かれる。ぼくがいいなと思ったのは前半部分で、監禁・拷問・虐待を受けた人間の傷が明確に描かれるからでした。リュシーを突き動かしているものが復讐ではなく許しで、それが明らかになる場面、つまり彼女を襲う化け物が罪の意識が生みだしたものに他ならないことが視覚的にはっきりと描かれる場面にははっとした。いや、その前から薄々感づいてはいるんだけども(笑)。そして救済を得られないまま彼女は自殺するんですけど、それは自身のトラウマの場所に戻れなかったからで、行うべきことが復讐ではなかったってことに気づくのが遅すぎたからなんだろうなあと思う。舞城王太郎の「熊の場所*1で描かれたように、トラウマを克服するためにその根源にもう一度立ち会えたなら、リュシーの運命も少しは変わっていたのではないか、なんて。
 まあそんな理屈はともかく、一家皆殺しの場面はなかなかがんばっていた。できればワンカットで、とか思っちゃいましたけど、リュシーの心理のプロセスがわかりやすくて良かったです。自分を監禁していた父親と母親は即射殺、息子はちょっと躊躇ったけど射殺、その妹は躊躇わず射殺という流れ。息子を殺した以上、娘もバラすのは当然だとばかりにベッドの上からベッドの下に隠れた妹へ向けて発砲するところはいいなと思う。
 ただこのシーンが全体としてよくできているかというと、例えば「殺しのはらわた」の冒頭とか「復讐 運命の訪問者」の冒頭を思うと、手放しで褒められるほどのものではないかなと思います。でも猟銃で撃たれた人が後方へ吹き飛ぶのはいいですね。これ、引っ張ってるか何かしているんですかね。けっこう勢いよく飛んでたように見えた。
 一家殺人が終わった後、リュシーの妄想である怪物が現れるんですが、ここのロック調の音楽がセンス無いと思った。ここだけ妙だったんだけど(笑)。後半はピアノとアコギを絡めてわりと悪くないと感じたんですけど、ここだけはちょっとどうかと思ったなー。
 結局リュシーを苦しめていたのは拷問の記憶ではなく、彼女が逃げ出すときに同じように監禁されていた人を助けることができなかったという罪の意識だった、そしてそれは監禁者への復讐を終えても消えず、首を切って自殺することになる。ここに至るまでのプロセスは痛ましいもので、リュシーを演じた女優さんが常に何かに怯えているような、どうしたらいいのかわからないというか、追い詰められた表情がいいというのもあるんですけど、ここまでの45分はとてもおもしろかったです。あと少女時代のリュシーが逃げ出す場面で、ふとももをボリボリと掻くところ、なんか好き。
 勝手にドアとかガラス戸が開いたり閉じたりとか、物音とか、何かがいるような気配を感じさせる描写も良かった。暴力描写よりも、たまにあるそういう描写が印象的だなあ。「マーターズ」は暴力映画だけども、けっこう正統派のホラーも撮れる人なんじゃないかなとも思った。どうでもいいけどリュシーの幻覚の女が階段の上から降りてくるカットがあるんですが、あれ「呪怨」の伽椰子だよねえ(笑)。白塗りじゃないからあれだけど。
 これが前半部分。リュシーは死に、主人公は助演と思われていたアンナに移ります。拷問を受けた女の物語が前半で、そもそもその拷問はなんだったの?というのが後半、と考えるとわかりやすい。
 ところでぼくはこのアンナという人物がよくわからなくて、何でこんなにリュシーのために動けるのかが腑に落ちなかった。いくら病院で同部屋で一緒に育ったからと言っても、ここまでやってあげるの?という思っちゃうくらいでした。死体埋めたりさ。でも後半を観ると、この二人の主人公はお互いを補うというか、前半でアンナはリュシーに寄り添い、リュシーは後半でアンナに寄り添うことになるので、そういう微妙なバランスの関係なんだなってわかった。
 リュシーの死後、アンナは屋敷の中で地下へ続く隠し扉を見つけて、リュシーを監禁した連中の行為がまだ続いていることを知る。監禁されている女を助けて、介抱するんですけど、やがて組織の人間がやってきて、女は射殺、アンナは監禁され、かつてリュシーが味わった拷問を受けることになる。ここで組織の目的がだいたい明らかになるんですが、どういう理屈だよっていうようなもので、ここでちょっと躓きました。監禁されてた女が全身を壁にこする場面があるんですが、やっぱりかゆいんだ!と思ってちょっとうれしかったんですけど、実際はゴキブリが全身を這っている幻覚を見ていたらしく、リュシーとの差を出すための演出だったのね。身体がかゆくなるという人間っぽい反応がいいなと思ってたので、ちょっと残念。
 激しい暴力を含む絶望を味わった人間が半死半生の状態になるとあの世を見られる=殉教者、みたいな理屈になるんですが、いやいやアンナは、というかアンナだけじゃなくリュシーも捕まってた人も何もわからないまま暴力にさらされてただけで、信仰心ゆえの行動じゃないから意味ないだろとか思っちゃったんですが、どうなんだろう。カトリックの国だとどう受け止められるんだろう、ここ。最後にぞろぞろやってきた連中が同じような経験をして、初めて解脱に近づくんじゃないかと思うんですが。
 この拷問の場面はハゲのおっさんによる暴行とブロンドの姉ちゃんによる無理矢理の食事が短く断片的に続くんですが、あんまり工夫がなかったかな。監禁してる空間が狭いっていうのが仇になっているのかもしれないんですが、じゃっかん退屈だった。例えば黒沢清監督の「蛇の道」の監禁場所は奥行きのある構造になっていて、映し方と俳優の動きだけですごくおもしろかったんですけど。あとせりふなしで行動が描かれるんですが、そこは良かった。淡々と事務的にこなす感じは好きです。でも恐怖感はなかったなあ。そういえば「盲獣」の千石規子さんはすごく怖かった。
 とにもかくにも、いよいよアンナが彼岸に達するんですけど、「2001年宇宙の旅」をスケールダウンしたような映像で、ここもちょっとなー。アンナの瞳に寄って、あの世のイメージ映像になって、またアンナの瞳になるんだけども、正直微妙でした。「2001年宇宙の旅」でやらなかったピンク・フロイドをかけてみるとか、もうひとひねりあればなと思う。いや、ピンク・フロイドは適当に書いただけですけど(笑)、なにかもう一打欲しかったです。
 あとアンナが何を観たのかってのを、組織のボスっぽい女へのささやき(観客には届かない)と女の自殺で表現するのは、向こう側を描くことができなかったのか、あるいは途方もなさを表現しようとしたのか、判断しかねるところ。ぼくは前者だと思いますけど(笑)。実際に病院の床を割って、地獄を引っ張り上げてしまった「エクソシスト3」とどっちがすごいのかというと、「エクソシスト3」の方がすごいよなあ。ってそれはぼくが「エクソシスト3」好きなだけか。
 ということで映画はエンドロールへ突入するのだった。なにかすごいものを観たようで、でも甘いというか腑に落ちない部分のある映画でした。でもここ最近のホラーの中ではおもしろかったと思うし、いろいろあるけどまじめな映画だと思います。色んな人に見られて欲しいけども、正直人には勧められないというジレンマ(笑)。さすがに皮剥いだりしちゃうとね。エロがないのはいいんだけど、むしろエロがないのかよくわからなくもある。
 アンナ、というかアンナを含む殉教者が見せる目というのが重要なんですけど、「蛇の道」で哀川翔さんが見せる視線の空虚さの方がよっぽど異様で、いろいろまわりくどい映画だなとも思いました。理屈に振り回されてる気がしないでもないです。そうなっちゃうのもわからんではないんですけど。といっても暴力シーンの躊躇のなさとか、光る部分も多かったし、かなりおもしろかった。それも確かです。
 そうそう今日のシアターNは満員になっていて、いいことだなあと思いました。アニメ映画以外で満員って、ひさしぶりだったかもしれない。すでに満席で入れなかった「3時10分、決断の時」はともかくとして。ああ、あれ未だに見損ねてるなあ。

*1:

熊の場所 (講談社文庫)

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