原理の行方。

 ガガガ文庫から出ている「ストレンジボイス」を読んだ。あらすじからいじめられっ子による凄惨な復讐劇というものを連想して、まあぼくはそういうのが好きなものですから、これはなかなかいいんじゃないかと思って買った。その一方で、うまくいかないと退屈でつまらないものになるだろうなと思っていた。

ストレンジボイス (ガガガ文庫)

ストレンジボイス (ガガガ文庫)

 書影が良いなとまず思ったんですが、頁を開いて真っ先に目に入るロッカーのイラストもけっこう好きです。サビなのか血なのか判断しかねるようなデザインが不穏な感じです。
 以下ネタバレで。

日々希に虐められすぎて不登校になっていた遼介が、卒業式にやって来るらしい。日々希に、そしてずっと見て見ぬふりをしていた私たちに復讐するために。他人のすべてを知りたいという欲求にあらがえない私は遼介の部屋を訪ねる。そこで出会った遼介は、赤の他人と見紛うばかりに鍛えあげた体で、禍々しい形に削りだしたバットを私に突きつけた。「全員殴り殺してやる」。私は、心待ちにしている。遼介が復讐を遂げに現れる瞬間を――。癒やされることのない心の傷を負った少年と少女のためのサバイバルノベル!!

 あらすじはこんな感じで、実際序盤はこのように話は進行する。一番退屈だったのはこの序盤の部分で、中学生のくせに身長が190センチだの180センチだの、明らかに乱暴にやり過ぎている感じがして、あーこれは失敗だったかもと思った。
 ところが中盤くらい、この小説が遼介の復讐そのものを描くものではないとわかり始めたあたりから急におもしろくなっていった。あ、これはシステムの話なんだと気づいたあたりかな。学園もののダークな青春小説、というのはこの小説の印象だとは思うんですけど、舞台をそこに借りているだけで、実は全然違う話なんじゃないかと思えた。
 この小説は遼介と日々希といういじめられっ子:いじめっ子、そしてクラスメイトである水葉が主役となっていて、一人称の語り部は水葉です。中盤以降に何が起こるかというと、いじめっ子である日々希が水葉の視界の外へいなくなろうとする、復讐をするはずの遼介はそもそも出番が少ない、いじめられる対象が入れ替わる、というようなことが起こって、最終的に復讐の対象がいなくなってしまうような状況が生まれる。
 頻繁に起こる上に、語り部である水葉にとっては遠景で起こるからめまぐるしいんですが、登場人物の関係が次々と変形していく様は楽しかったし、こういうことをやろうとする人がラノベ界にもいるのかと思うと少しうれしかった。関係の原理から足を踏み外すともう終わりという後のなさはイイね。変化のきっかけが、日々希の実生活や直人の暴走、飛び降り、あるいは担任の策略といったものが、水葉の視界の外で起こるんだけども、その省略具合もかなり決まっていたんじゃないかと思います。あらすじを読むと暴力性が強そうなんだけど、直接的な描写は意外と避けられている。その分、語り部・水葉のメンヘルナルシシズムが前面に出てて、そういうのはウザいです。
 もっとも、それは終盤の展開を導くための手管でもあるわけで、いじめられる側になった少年とそれ故に復讐の対象を失った少年を繋ぎとめることになる水葉が一番のバケモノだったというラストシーンと、ただ煙草を吸うだけだった担任のアクションは端的でよろしかったです。自分のことしか考えていないはずなのに、遠景と近景がふいに重なって、水葉を介して永遠に訪れないコンタクトを待ち続ける二人という均衡が生まれる終盤の展開はすごいところまで踏み込んでいるんじゃないかと思ったくらい。
 書かれてはいないけれど、作業所での悪だくみは失敗してまた関係性が変化することは目に見えているし、一歩踏み外した途端地獄が待っているというのはもしかしなくても現実社会のメタファーなんだろうと思う。なぜか文字数をとって説明される「タクシー・ドライバー」や「バニシング in 60″」がヘンなくすぐりになってて嫌いじゃない。アメリカの存在をふっと匂わせてくるところに何かこの作家はすごいものを持っているんじゃないかと感じさせる一方で、まあたぶんたまたまだろうねとも思ってしまうのだった。