ゴーストストーリーと聞いて。

 湯本香樹実さんの「岸辺の旅」を読んだ。もうすぐ単行本が刊行されるんですが、そのあらすじを読んでゴーストストーリーであるということを知って興味を持ち、図書館で借りて読んだ。じんわりしみてくるような小説で、こういうの好きです。

文学界 2009年 09月号 [雑誌]

文学界 2009年 09月号 [雑誌]

 失踪した夫が幽霊として帰ってくる。夫は妻を伴い、自分の帰路を逆にたどる旅に出る。というのが簡単すぎるあらすじなんですが、一人称で語り部はわたし=妻です。幽霊とはいっても普通に話をするし物は食べる。死者としての描写は希薄で、しかし不思議なのが妻が夫の幽霊と旅をしているという状況がはっきりとわかるということ。
 深海で蟹に食われた夫が幽霊になって戻ってくる。この前提がまずリアルじゃないんですけど、それがさも当然のように語られて、でもその当然さは例えばマジックリアリズムからは遠く離れている。このリアリズムはいったいなんなのかっていうと、確かな筆致や正確な描写が生むことなんだろうなと思った。ただ技巧に走っているわけではなくて、文章には血がしっかり通っていて、真っ直ぐなんだよね。端的というか、淡々としていながら不要なものはあまりない。でも不意に叙情が通り過ぎるようなこともあって、読んでて気持ちいい文章。
 夫の旅路をさかのぼる物語は、夫が妻の元へ戻る途中で出会った人々と再会をしながら、最期の場所へ到達するという構成になっている。おもしろいことに、死んだ夫は途中で働きながらどうにか妻のところへ戻ってきたということになっているんだけども、ここで強烈なキャラクターが出てくるということはなく、全体として粛々とした人物たちとの交流が描かれる。ここら辺も主人公たちの過去を明かす手つきや、人と人との関係が絶妙な距離感を持って提示されて、うまいなと思った。この間、「おいしかった?」とかそんなような台詞が二言三言あるだけっていうのも好きだ。
 夫がロールケーキを食べていて、落ちそうになるクリームを妻が指ですくって、夫になめさせる。で、夫の口の周りのクリームを妻がなめるっていう場面や、同じ布団に入ろうとする場面など、さりげないエロティシズムも上品で良かったな。
 しかしやはり白眉なのは、関係の描かれ方なんだと思う。人と人の距離の遠近と流れる時間があらゆるところで異なっていて、でもそれこそが現実そのものだから、このファンタジーには不思議なリアリティが宿っているんだと思う。だからこそクライマックスに砂時計の比喩が現れて、時間が滞っていないことが描かれるんだろう。その前にある「せいぜい百年前」っていう台詞もなんかいい。そうそう、この小説は台詞の操り方が実にうまいと思った。この人たちはこういうことをしゃべっているんだろうって自然に思える台詞だった。
 地味だけど、ぐっとくる小説だった。単行本で買っておこうかな。