district 9

 「第9地区」を観てきた。フェイクドキュメンタリーの手法を使ったSF映画
 南アフリカに突然現れた宇宙船。そこから降り立った宇宙人は難民として、人類と共同生活を始める。それから28年度、スラム化した共同居住区『第9地区』では人間と宇宙人の諍いが続き、超国家機関MNUは彼らを収容所へ強制的に移住させようとするのだが……。
 概ねこんなストーリー。この映画がとてもおもしろかった。ぼくは好き。以下ネタバレで。
 こんなストーリーなんですけど、共同生活云々の部分は冒頭での説明と第9地区を捉えるカメラの節々に映されることでわからせるようになっていて、本編はほぼ収容所への移住作戦の開始から始まるといってもいい手際の良さ。最近、導入って大事だなって強く思っていて、それは小説だろうが映画だろうがいっしょだと思うんですけど、要するにいかに早く物語に引き込むかということで、端的かってことだと思います。
 「第9地区」は冒頭から完全にドキュメンタリー番組的な作りにしていて、繋ぎというか編集というか、とにかく上手いなあと思います。隙がなかったな。このリズムとテンポであっさり引きずり込まれた。よくあるセミドキュメントものよりも、さらにドキュメンタリーに近付けてる気がします。ぼくはテレビ自体あまり見ないので例えば世界まるみえとかで垣間見た海外のドキュメンタリー番組のイメージからこう書いてるんですけど。
 ある出来事が起こるまでは、カメラマンがいるという前提の作りになっていて、記録された映像という設定が荒唐無稽ともいえる宇宙人の造形=エビ型を気にさせませんでした。むしろ「フィースト」のクリーチャーを思わせる気がしたけど、それはともかくこの作りは、彼らがスラムをうろうろ歩いてたり強盗したりする姿が、あと酔っ払ってるやつもいましたけど、わりと平然と画面に出すことに成功していたかなあと。公開前の予告編とかだとモザイクかけたりしてましたけど、下手に強調しないで、あっさり姿を映し出したことは成功してた。記録された映像であるという設定をうまく使ってた。
 体感時間が早すぎだったのでだいたい何分くらいだったかはわからないんですが、ドキュメンタリー的な作りはあるときを境になくなります。残り香みたいなのはあるけど、完全に劇映画といえる作りへと途中から変化する。この手つきは素晴らしかった。最近観た作品だと、「無警察地帯」を思わせる感じ。「無警察地帯」は舞台となる街で何が起こったかを街の人々にインタビューするという導入から、劇映画へ入っていく作りになっていましたけど。
 強制移住を促す主人公が何かに感染し、身体がエビになっていき、実験材料にされそうになり、施設から逃亡する。ここからは娯楽活劇として見応えのある映画になっていて、宇宙人との共闘に至って、ちょっと泣きそうになった。フェイクドキュメントが画面から消えてから、現れてくるのが古典的なファーストコンタクトもののSFだったていうのが感動的だったなあ。目新しさを古典性が覆っていって、ここからは痒いところに手が届くアクション映画にもなっていて、素晴らしかったですね。
 宇宙人は司令船を飛び立たせるため、主人公は母船に行って身体を直してもらうために、お互いの利害が一致して、起動するために必要な筒を取り戻しにMNUの地下施設へ向かうんですけど、ここら辺のバディアクションっぷりは良かったねえ。ああ空間が全体的に狭いのはカーペンターっぽいかも。人間も宇宙人もバンバン撃ち殺されていくところが爽快なんですよね。特に宇宙人の武器の、着弾すると相手がドカンと爆発して消えちゃうっていうのがプチグロいけど、いいビジュアルだった。
 そうそう、宇宙人の武器はまず実験のシーンで主人公に使用を強いるんですけど、その後、逃げ出してから再び施設にブツを取り戻しに行くときに宇宙人の武器を手にして、その力を行使するんですが、そのタイミングの絶妙さですよね。さんざんすごいすごいって言ってて、実験の場面でもその片鱗を見せるんですけど、主人公がついにその武器を自らの意思で使うとき、ここだ!ってタイミングでズドンとやるからスッキリした。ちょっと「大拳銃」を連想しました。我慢して我慢して、あ、やっぱり撃つんだ!っていうね。あの映画でもバズーカみたいな大拳銃の破壊力は豪快でしたけど、宇宙人の武器はさらに破壊力大。
 ぼくが感動的に思えたのはいがみ合っていた宇宙人と主人公が共闘する、わかりあうっていうところだったんですが、この映画では各グループの対立っていうのが激しいんですよね。スラムの宇宙人たち、それを強制移住させようとする人類、スラムにいるナイジェリアのギャング団。それぞれが要求を押しつけるばかりで、共感することがまずない。そこに主人公がどこにも属さないものとして現れるとき、物語が決定的に動き始める、こういうシナリオの真っ直ぐさは良いと思う。
 で、思考も立場も近いはずの人類たち同士ではなく、はぐれ者のような宇宙人と人類の中にはいられなくなった人間が共感を見せるっていうのはグっときたな。実際、宇宙人は難民っていう設定なんですけど、地球を侵略とかそういうスケールの大きさこそないけど、どこか粗野な無法者(まではいかないか)として描かれてる。その中で、宇宙人クリストファー・ジョンソンと息子のリトルCJはインテリで、他とは別枠な感じで登場して、マイノリティーの中のさらにマイノリティーになっている。彼の表情というか佇まいというか、寂しげで良かったなあ。希望と、その裏にあるあきらめと挫折が出てたと思う。
 ぐだぐだと書いてきたけども、とにかくおもしろい映画でした。グロさとエグさのあるところが、あんまり人に勧められない気もしますけど。例えば宇宙人の武器を試射するシーンの、生きた宇宙人が標的となるところで、宇宙人の腕に変わりつつある方ではなく、まだ人間のままでいる方の手を使わせるところはホントにエグかった。でも残酷なんだけども、こういうシーンを作っておくところに製作者の心意気を感じましたよ。
 そうそうナイジェリアンギャングは完全にヒールで、でもいいヒールっぷりでじつに良かった。ワルの上に、狂信的っていう(笑)。