野田地図「ザ・キャラクター」

 NODA MAP公演、本日初日でした。行ってきました。題材のせいなのか、終盤は冷静でいられなくて、今こう書いている瞬間もまだくすぶっている感じです。
 雑誌や新聞のインタビュー記事には目を通していなかったんですが、新潮の今月号に掲載されている台本を呼んで、ある程度の覚悟はしていたつもりなんですが、言葉が文字ではなく発話としていざ突きつけられると目を覆わんばかりの陰惨さがこれでもかと迫ってくるので、息が詰まってしまいそうなくらいだった。
 戯曲が雑誌に掲載されている以上、ネタバレも何もないと思うんですが、一応。でも大したことは書いてません。まだ全然まとまらないので、何も書けそうにないです。

新潮 2010年 07月号 [雑誌]

新潮 2010年 07月号 [雑誌]

 例えば「オイル」と「ロープ」よりもこの作品が強く迫ってくるのは、オウム真理教地下鉄サリン事件を題材にしているからだと思います。あの事件は間違いなく身近で起こったことで、テレビの画面の中でリアルタイムで見ていた9.11よりも恐怖心は大きかった憶えがあります。そして今日この芝居を見てはっきりと感じたのは、自分の中でもまだ全然過去の出来事ではないんだということでした。
 終盤の展開には首を絞められているような窒息感があったし、不安の予兆といいますか、あの日家に帰ってテレビで事件の報道を目にしたときの呼吸が落ちつかなくなる感覚がこの芝居を、特に後半を見ているときに甦ってきて、辛いっていうと変かもしれないですけど、落ち着かなかったです。でもそれは決して悪いことではないと思うし、それだけの力がこの作品にあったってことだと思う。
 オウムについて書いてきたけども、この作品が直接的にはオウム真理教なんだけども、集団が暴力に囚われていくプロセスはなにもオウムに限ったわけではなくて、もっと普遍的なことなのよね。陰惨でぞっとするような手つきではあるんだけども、けっして目を背けてはいけないと思う。