ペドロ・コスタに着いていこう。


 本日7月31日から封切りのペドロ・コスタ監督作「何も変えてはならない」を観てきました。夕方に観たんですが、ガラガラだったのは寂しかった。土曜日なのに。舞台挨拶回は満員だったのかな。
 予告編を最初に観たのはいつだったっけ。とにかくゾクゾクっときたのを憶えてます。この作品は日仏学院でのジャンヌ・バリバール来日記念特集のときに先行上映されているんですけど、スケジュールが合わずにそのときは行けなかったので、やっと観られると思ってドキドキしてました。
 というのもぼくは映画女優としてだけではなく、歌い手としてのジャンヌ・バリバールも好きなんですが、、去年だったかな、彼女が出したCD2枚もどうにか入手してヘビーローテーションしてたくらい。最初は女優としてしか知らなかったんですけど、オリヴィエ・アサイヤスの「NOISE」で歌手としての活動もしていることを知って、しかもその歌唱にときめいてしまったんです(笑)。
 そしてあのペドロ・コスタが彼女のドキュメンタリーを撮るということですげーテンション上がったし、観られる日をずっと待ってた。そしてやっと今日観られたんですが、期待以上のマジですごい映画だった。傑作。



 何がすごいかって、まず最初のライブシーンの音がガツンときたことです。ドラムの音に重量感があるのと、ここで演奏される"torture"はジャンヌ・バリバールのボーカルの低音が響く曲なんですけど、これが実に効いてて、いいライブ録音だなあと思ったし、冒頭で観る者の耳をガッチリ掴んでるとも思った。ぼくだけかもしれないけど(笑)。
 この作品は全編モノクロで作られているのが特徴だと思うんですけど、この白黒の映像のゆらめきに酔いしれました。前評判で、スタイリッシュなモノクロの映像がどうの、というのを読んだ気がするんですが、ぼくにはとてもスタイリッシュには見えなかった。どういう撮影をしたのかはわからないけど、というかパンフレットに書いてあるのかもしれないけど、この感想をまっさらな状態で書きたいので全然読んでないんですけど、細かい照明設計をしているわけではなさそうだと感じました。例えばフィルムノワールの映画や、あるいはタル・ベーラの作品のように光と影の明暗が極端に強調されているのではなくて、むしろその境界は曖昧なくらいだと感じた。
 この作品は歌手ジャンヌ・バリバールのドキュメンタリーということになっているのだけれど、いわゆるドキュメンタリーらしいことはあんまり、というかほぼしていないと思います。ジャンヌ・バリバールのキャリアを説明する箇所はないし、説明らしい説明もない。本編の大部分はレコーディング風景を映しているし、他にはときたまライブの映像やボイストレーニング、あとたぶん彼女が出演した舞台の映像などが挿入されるだけ。しかも舞台の映像に関しては、舞台そのものではなくて、おそらく舞台の袖かどこかで伴奏をしている人が映っているだけで、歌声が画面の外から聞こえてくるという設計になっていた。たまに出入りがあるんだけど、これは権利の問題なのかな、そこら辺はよくわからないんですけど、舞台そのものは映されないといっても言い過ぎじゃない。
 そしてカメラは動かずに、ただそれらの光景が映されるだけ。会話もその場で交わされたことであって、画面のこちら側へ細くしてくれるようなことはない。ありのままといえばそれまでなんですけど、そっけないくらいに何もされていないように見えるんだけども、それが退屈かといえば全然そんなことはなくて、むしろこんなにもスリリングな映画もなかなかないと思う。ジャンヌ・バリバールに興味がない人やペドロ・コスタを知らない人にとっては、ハア?ってなるかもしれないけど(笑)。
 映画の序盤では、2枚目のアルバムに入っている"cinema"という曲が作られる様が収められているんですが、一つの作品が作られていく過程には、もちろんリラックスしてたり笑い合ったりしている姿もあるんだけど、凄味とか迫力とか言われるものが常に共にあって、観ててゾクゾクしてきた。まあ、ぼくが音楽がだんだんとできていくというプロセスが好きだっていうのもあるんだろうけど。
 一方で、けっしてぼやけているわけではないんだけどもどこかゆらめいて見えるモノクロの映像は何かの実験を思わせました。音楽が描かれていることは間違いないんだけども、そのセッションが一種の化学実験に見えてしまったというか。レコーディングを行っている場所もどうやらただのスタジオではないようで、ラボっぽいかなー、なんて。
 そうモノクロの映像です。上にスタイリッシュではないと書きましたけど、不穏さというか不気味さを伴っているように思えました。特にそれは2シーンあって、煙草を吸うジャンヌ・バリバールがホワイトボード(たぶん)の前に立っていて、その影がホワイトボードに伸びているというカットがあったんですが、そのときの影の映り方もさることながら、ジャンヌ・バリバール自身もこの世のものではないように見えてしまってねえ。たしか向かって右の方を向いていて横顔になっていたと思うんですけど、その顔の白さが白塗りの2枚目ってわけでもないんだけども、べたっとしているというか、古い映画の登場人物のように見えた。それが幽霊のようというか、幽玄というとちょっと違うんですけど。それでまたホワイトボードに映ってる彼女の影がくっきりとしてて、カール・ドライヤーの「吸血鬼」みたいに、影になにか起こるのではないかと一瞬不安がよぎった。怖かったというか。
 もう一つは後半にあるライブの場面で、ジャンヌ・バリバール自身ははっきりくっきり捉えられているんですけど、バンドのメンバーはなんかちょっとぼやけてるというところがあって、なにかモヤモヤとしたものが残った。ここでは逆にジャンヌではなく、バンドのメンバーが幽霊のようだったかな。
 というようなことを考えながらも、この映画で描かれる音楽制作のプロセスは観ていて、そして聴いていて非常に楽しいものでした。最後、楽屋かどこかで、"Rose"をセッションするジャンヌたちを捉えたシーンは喜びに満ちていたような、祝福のショットだったと思う。そこからエンドロールに入るんですが、ホントねえ、終わってほしくなかったねえ。エンドロールでもジャンヌの歌が聴けるんだけども、もっと彼女たちの音楽が作られ、練られていく様を観ていたかったというか。映像だけではなくて、音作りもすばらしいので、とにかく気持ち良かった。途中ゴダールボイスがサンプリングされて使われているのもご愛嬌。