「名前のない女たち」の触覚を支持する。

 いよいよ佐藤寿保監督の新作「名前のない女たち」が公開となり、さっそく観てきました。初日舞台挨拶があったからかもしれないけど、新宿K'sシネマは満席でした。
 ピンク映画を観るようになったのはここ何年かのことで、佐藤寿保監督の作品をリアルタイムで観るのは今作が初めてということになります。DVDは何枚か持っているし、上映があればどうにか都合をつけて観に行っているつもりではあるんですが、何しろ寿保監督のフィルモグラフィは膨大で、当然のことながら全部は観られていません。観たいんだけどね。「ピンク・ヌーヴェルヴァーグ」を読んでいると、どれもこれも面白そうに思えてきて困ります。
 痛恨だったのは「狂った触覚」がポレポレ東中野で上映されたときに間に合わなかったってことです。ギリギリ、ピンク映画に手を出していない時期だったんだよなぁ……。
 まあ、それはともかくも「名前のない女たち」です。これはピンク映画ではなくて一般映画です。以下ネタバレあり感想。ぐだぐだです。
 傑作だったと思います。企画単体のAV女優を主人公にした映画、というか「名前のない女たち」というルポルタージュを元にした劇映画なんですが、意外なほど丁寧な青春映画になっていて、性と暴力、流血といった佐藤寿保イメージとは趣きの異なる作品になっていました。といっても寿保監督らしさがないかといえば全然そんなことはなくて、佐藤寿保作品の烙印はしっかりと押されていたと思います。もっとも、例えば幡寿一名義で作った「痴漢電車 いやらしい行為」はスプラッター色のない青春映画になっていたので、唐突な変化というわけではないと思う。
 簡単に物語を説明しておくと、地味なOLだった純子がAVのスカウトを受け、桜沢ルルという名前で企画単体のAV女優としてデビューする。コスプレオタクという設定を与えられ、純子はAV女優ルルになりきっていく。ルルのデビュー作の現場にいた元ヤンのAV女優・綾乃は彼女の成功に苛立ちながらも、放っておけずにいる。ルルはAV女優として成長していくが、一方でストーカーの影が見え始め、会社にAV出演がバレてしまう。そして単体デビューの枠を争っていた相手の女優が自殺を遂げ……。
 大体こんな感じの筋立てだったんですが、上にはAV女優になりきるとつい書いてしまったんですけど、実はそうではないんだってことを観ていて感じました。この映画では序盤から鏡と鏡に映る主人公の姿を多く捉えるんですが、その意味合いが大きく変化する一場面があったからでした。この映画にはスプラッター映画的な要素はあれど、ホラー映画ではないです。なので鏡に何かが映り込むということはなく、その鏡の前にあるものがはっきりと映る。概ねそれはコスプレをしているルルです。
 しかし鏡ではないところにルルの姿が現れるシーンがあって、それは純子が勤める会社でのシーンなんですが、ただのガラス戸に映るのが純子ではなくルルの姿になっている。このカットを観たとき、ぼくはこの映画が地味なOLがAV女優になる話ではあるものの、自分自身の本質を見出し、手に入るかどうかはともかく、それが居場所へ結びついていくというもっと普遍的な主題を扱っているんだなと感じた。実際、この少し後からルルは純子に戻らなくなる。会社の同僚に対しても普段の純子として接することはなく、立ち位置が反転する。社会的に蔑まれている、実際この映画に出てくる会社員もAV女優に対してバカにしたような物言いをするんですが、その会社員たちを見下ろす立場に変わってしまう。
 ここで感じたのは純子がルルになったわけでも、ルルになりきっているわけでもないってことでした。ふと連想したのは黒沢清監督の「ドッペルゲンガー」なんですけど、あれには役所広司とドッペル役所が出てきて、最後にはどちらともつかない役所になっている。合体したというのが一般的な解釈かと思いますが、似たようなものを感じてしまって、でもこれは怪奇映画でもないので、AV女優を演じることをきっかけに純子本人の本質が明確になった、ということなのかなと思った。純子/ルル役の安井さんの演技を観ていても、序盤のコスプレオタクのふりは痛々しさを感じなくもなかったんですが、中盤以降はこれが純子/ルルの普通の状態なんだなと自然に思えた。
 きっかけというと実際に働いているAV女優の方に失礼な書き方になってしまうかもしれませんが、コピーにもなっている「生きてるふり、やめた」のターニングポイントは自身を見出した瞬間であって、それがこの映画の中ではガラス戸に純子ではなくルルが映った一瞬なんだと思います。不明瞭だった自己が確固たるものへと変化していく、それは青春映画であり、一種のビルドゥングスロマンであると思うし、幕切れにルルが見せる力強い疾走には心をうたれました。その後、画面に再びスカウトシーンが反復的に顔を出し、エンドロールの「バージンブルース」(戸川純)に繋がっていく。この選曲が見事でねえ、もう感極まった。他にお客さんいなくて、ひとりで観てたらほんとに泣いてたかもってくらい。
 一方で、もうひとりの主人公である綾乃は対照的にすでに大人になっている。元ヤンで、暴力的な生活を送っていた過去があり、新井浩文演じるスカウトマン(好演!)へ貢ぐことでキレやすい自分を抑えているような、ある種の依存を抱えている女性なんですが、常にどこか冷めた、諦めのようなものをまとっていて印象的です。苛立ちながらもルルを見守るような存在でもあるんですが、この綾乃とルルがお互いの感情をぶつけ合って、ビールを掛け合い、ついには素っ裸になっていくシーンはこの映画の最大の見せ場だったと思う。もちろん解放という意味合いもあるんですけど、それ以上にむきだしになった裸体が強烈に目に焼きつきました。
 AV女優の物語ではあるんですけど、裸というのは意外なほど、この映画には出てこないです。寿保監督がピンク映画の監督だってことが意識を偏らせていたのかもしれないですけど、思ったよりもエロは少ないと感じました。だからこそ、逆に二人が脱いでいくところはぎょっとしたというか、裸というのが本来は隠されているものなんだなってことを意識してしまったというか。映像じゃなくて、実際に目の前で脱いでいるんじゃないかと錯覚したくらい、えっ!って感じた。
 その後、やはり裸で寝ている二人のカットが素晴らしくて、水の中にいるみたいなんですけど、手が触れ合ってるんですよね、たしか。チラシにもなってるところ。触覚というのは寿保作品の鍵だと思うんですが、無防備に触れ合っている手は穏やかで、あのシーンは寿保監督からのふたりへのまなざしそのものなのかな、なんて思ってしまった。やさしさっていうかね。
 寿保監督らしいスプラッターな場面が終盤に待っているんですが、ここってリアリズムがあまり無いように見えました。もちろんそれが良くないということでは全然なくて、むしろ感心してしまったくらいなんですけど、ルルに付きまとうストーカーが汁男優として平然と現場に立っているところが目に入ったときの画面の異様さといったらないです。そして凌辱AVの撮影が始まり、ストーカーが男優やスタッフをナイフ(包丁だったっけ?)を殺害していくんですが、大量の血しぶきと共に照明が真っ赤に変わっていく様子はとてもマニエリスティックで、ルルにとっての最後の儀式のようでもあった。ストーカーへ対するルルの姿も含めて。こういうリアリティよりも表現として大事なことを優先していく態度には、どうしても惹かれちゃうんだよなー。
 かなりどうでもいいことですが、ルルがどぶ川でゴムボートに乗っているカットがあって、渋谷なんですけど、この映画を観る数日前にたまたまそこを通りかかって、汚くていい感じの川だなーと思っていたので、その川が画面に出たときはちょっと驚きました。イメージフォーラムからシアターNまで歩く途中に、ホント偶然目に入っただけなんですけど。