ラテンアメリカ文学

 「またラテンアメリカ文学か!」とお思いの方も多いのだろうが、何となく紹介してみる。メヒコの作家フアン・ルルフォの「ペドロ・パラモ」*1岩波文庫
 ぼくの中で、この小説は「百年の孤独」、「夜明け前のセレスティーノ」などと並んで、「ラテンアメリカ文学といえばこれ!」というくらいに大きなものだ。ルルフォはガルシア=マルケスやアレナス、バルガス=リョサと比べると、今一つ知名度で劣るのかもしれないが、この「ペドロ・パラモ」、そして短編集の「燃える平原」*2しか書いていないのだからしょうがないのかもしれない。長編が一冊、短編集が一冊、発表した著作はそれだけの作家だが、ラテンアメリカ文学史のなかで永遠に生き続ける作家なのだと思う。この二つの本はそれくらいにすさまじいのだ。
 さて「ペドロ・パラモ」だ。ぼくが今までの24年間で読んだ本の中でも、三本の指に入るくらいの小説だ。物語としては、こうだ。表紙に書かれている筋を引用してみる。

ペドロ・パラモという名の、顔も知らぬ父親を探して「おれ」はコマラに辿りつく。しかしそこは、ひそかなささめきに包まれた死者ばかりの町だった…。生者と死者が混交し、現在と過去が交錯する前衛的な手法によって、紛れもないメキシコの現実を描出し、ラテンアメリカ文学ブームの先駆けとなった古典的名作。

 ここにある通り、この小説は前衛だ。生者と死人、現在と過去、そして空間が自由にフラットに、時には並び、時には交錯する。本当にフリースタイルな小説だ。ただ他のラテンアメリカの作家の自由さを決定的にこの小説を分けているのは、乾いた、すべてを削ぎ落としたような文章になっているからだ。筋書きにある「ひそかなささめき」という言葉は、まさにふさわしいものだ。ガルシア=マルケスもバルガス=ジョサもどこか饒舌な、語り部としての要素があるのだけれど、ルルフォにはない。あるのは乾いた砂を舐めているような、そんな感じ。
 この小説はラテンアメリカ文学どころか、世界の文学の歴史に名を刻むべき作品なのだと思っている。一種の奇跡みたいなもんだ。しかしながら、例えばチアパスで起こった悲惨な事件とか、メヒコの現実をふまえて読むと、この幻想小説は極めてリアリスティックな虚無感に満ちたものだとわかる。こういう小説が600円ばかりの文庫本で入手できるのだから、日本はいい国だ。
 と思ったら、もう絶版っぽいね。残念なり。つーか、岩波×ラテンアメリカ三種の神器であるフアン・ルルフォの「ペドロ・パラモ」、カルロス・フエンテスの「アウラ・純な魂 他」*3、フリオ・コルターサルの「悪魔の涎・追い求める男 他」*4が全部買えない状態にあるというのはまじで文化的損失。とっとと刷り直しなさいよ。

*1:

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

*2:

燃える平原 (叢書 アンデスの風)

燃える平原 (叢書 アンデスの風)

*3:

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

*4: