七月大歌舞伎/昼の部

一、夜叉ヶ池
二、海神別荘

  • 夜叉ヶ池

 第一場は良かったとおもうんだ。ところが話が進むにつれて、どんどん舞台が散漫になっていく。俳優がいっぱいいっぱいだったのかな。
 ただ、今月の四演目の中では一番楽しめた。それはこの「夜叉ヶ池」が鏡花戯曲の中で動きのある、わかりやすい芝居だからなのだと思う。美意識が前に出ていないというか、構造が的にしやすくなっているんだろうな。ちょっと前にパルコ劇場で上演された長塚圭史・脚色&三池崇史・演出の「夜叉ヶ池」は普通におもしろかった。
 俳優で良かったのは市川右近。この人の山沢学円は、特に第一場だが、特筆すべきものだったと思う。台詞がいいんだよ。鏡花の芝居は台詞が第一だから、それだけで観られる。第一場は段治郎の萩原、春猿の百合もよかった。アンサンブルがとにかくいい。猿之助のもとでやってきているからなのだろう。
 幕切れの演出は疑問。というかダメ。地味すぎる。歌舞伎座の阿呆みたいに大きな舞台を埋め切れていない。鐘楼を取っ払っちゃうっていうのが、なんか納得できなかった。立派な鐘楼が沈んだ状態で舞台上に残っている方が、妖怪どもの驚異的な力が実感できるんじゃないかと思った。せっかくでっかい奈落があるのに。
 今月の四演目の中では一番良かったけれど、他のがあまりにひどすぎるし、この「夜叉ヶ池」だって全然歌舞伎じゃない。不満足だ。

  • 海神別荘

 今月の四演目の中でワーストだったのが、この「海神別荘」だ。そもそも鏡花の台本でつまらないものなのだが、表面を耽美で飾り立てた結果、端にも棒にもかからないような、本当にひどい芝居になっていた。全然歌舞伎じゃねーよ。
 評価できる部分があるとすれば、ハープの生演奏はよかった。芝居にマッチしてた。今年の三月から四月にかけて上演された「東海道四谷怪談 北番」の何が不満かって、生演奏じゃなかったことだ。洋楽だろうがなんだろうが、生演奏するべきだったんだよ。来年再演するらしいので、今度はバンドの生演奏でもいいんじゃないか。
 話がそれた。「海神別荘」だ。海老蔵は棒読みの学芸会状態で、玉三郎は自分の芝居に酔っているような有様だった。役の性根が見えてこない。海老蔵の棒読みはときどき公子の天真爛漫さに繋がるからまだマシだろうか。装置もなんだかちゃちだし、脇の俳優も全然残らない。芝居のダイナミズムがないんだよ。やっぱり歌舞伎俳優の身体が感じられない。鏡花の台詞に引っ張り回されちゃっているんだろう。そもそも出演者たちはおもしろいと思っているのだろうか。それが疑問だ。
 思うのは、鏡花の芝居を鏡花の芝居として上演したところで歌舞伎にはならんのだな。歌舞伎俳優が出れば歌舞伎なんだという考え方もあるようだが、今月の歌舞伎座に関しては、歌舞伎じゃない。当時の俳優にあてて書かれた黙阿弥や南北や近松の芝居を歌舞伎俳優がやれば歌舞伎になるが、歌舞伎として書かれていない鏡花の芝居を歌舞伎俳優がやったところで、歌舞伎にはならんのだな。三島由紀夫の「わが友ヒットラー」や「サド侯爵夫人」を歌舞伎俳優が演じてもそれだけでは歌舞伎にならんのと同じだ。逆に歌舞伎として書かれた三島由紀夫の芝居を、例えば「鰯売」とか歌舞伎俳優がやれば、それは歌舞伎になる。今月の歌舞伎座の四演目は鏡花の芝居であって、鏡花のテキストの文脈には沿っているのだろうけれど、歌舞伎として全く楽しめず、「七月大歌舞伎」として上演されている以上、(歌舞伎として)つまらないという感想が生まれて当然なんだろう。歌舞伎を観始めて三年くらいになるが、その中で最低の月だった。暗黒だぜ、まじで。