『悦楽』のこと、とか。

 シネパトスの大島渚特集で「悦楽」と「日本春歌考」を観た。だらだらっと書いてみる。
 「悦楽」は大島渚作品のクオリティを考えると普通くらいのおもしろさでした。というか他のが傑作すぎるだけかもしれないんですが。
 戸浦六宏渡辺文雄小松方正という創造社の人たちが主人公・中村賀津雄の元を訪れるんですが、話が進むごとに一人ずつ訪問してくるところがおかしかったです。まとめてこられてもいやだけど(笑)。
 「日本春歌考」は先日のPFFで黒沢監督の講義付きで観ていて、あまり時間をおかずに今回の上映だったんですが、これホントすごい映画。
 全編が歌と歌の対峙から生まれる緊張感でいっぱいになっていて、それはオールアフレコに加えて、映画の中心にいるのが歌手兼俳優の荒木一郎だからこそできたことなのかなーなんて感じた。何をしでかすかわからないような、ただならぬ佇まいなんだよね。どうでもいけど、荒木一郎さんといえば、ヒゲとグラサンで見た目じゃ誰なんだかわからないようなルックスで登場する「0課の女 赤い手錠」が忘れられない(笑)。
 あと白と赤と黒が印象深かったです。冒頭のスタッフロールで赤に黒が垂らされるのと、デモ隊が持っている黒い日の丸が序盤でどんと示されるんですが、その後ことあるごとに白と赤と黒の組み合わせが背景の中に登場していたように思えた。コカコーラの看板とか、偶然かもしれないんだけども。あとフォークソングの会場のところでは、夜なので黒く見える池の水が部分的に赤くなっていて、そこに戻ってくる吉田日出子は白っぽい衣装を着てる、みたいな。真っ白い雪の中を真っ黒い学生服の学生たちが歩いていて、さーっとカメラがひいていくところにしたって、色がやたらと印象的に見えるんだよなあ。
 そういえば、この映画の小山明子さんは最後の演説めいた場面も含めて、不思議とというかいつも通りというか、あいかわらず妙な確信を持った役だなあと思っていたんですが、「大島渚1968」*1に掲載されているインタビューを読んで驚いた。

小山 あの映画はわけがわからないね。私はぜんぜん理解してないよ(笑)。

 インタビューではことあるごとにわからない、わからなかったと仰られているんですが、わからない状態であの凛とした雰囲気を出せるのだから、小山明子さんは素晴らしいと思う。
 しかしこう続けて見ていると、大島渚作品には挫折というものが常に寄り添っているように感じられます。特に「白昼の通り魔」の戸浦六宏さんにはそれを強く感じたなあ。まあ強く感じさせる一方で、「シノちゃんは発達してるなあ」みたいなじゃっかんいやらしい台詞を自然体で口にできる六宏はとにかくステキなんですが。
 あと小山明子戸浦六宏の墓参りに行く場面で、戸浦六宏小山明子の背後というか死角というか、視線から外れたところに出現するのが好きです。こないだ書き忘れたので書いておこう。

*1:

大島渚1968

大島渚1968