思考の方向

筋立てはリアリズムでも、構造や文体でいくらでも「幻想的」なものは作り出せる。
その極端な例がバルガス=ジョサで、短編「子犬たち」の異様な文章はファンタジックとしかいいようがない。
しかしストーリーは少年たちの成長を描いただけのものであり、地の文を会話で構成するという文体が特殊な効果を生んでいるのだ。
同じように「緑の家」にしろ「ラ・カテドラルでの対話」にしろ、不思議なことは何一つ起こらないし*1、特別な力を持っている人物は一人も登場しないのだけれど、小説の構造と文体がこの小説をただのリアリズム小説で終わらせないでいる。
だからぼくもこのような先行作品に倣って、書くつもりなのだ。
加えて、最近は時間も空間も一度フラットにしたいよねっていう衝動が湧いている。
そんなものをぽんと飛び越えてしまうような小説を書いてみたい。
それは小説でしかできないことなんじゃないかと思う。

*1:特に後者。ペルー社会の現実を描いているもの。