日本の演劇

 桜木町の赤レンガ倉庫まで行ってきたのだった。遊園地再生事業団の「モーターサイクル・ドン・キホーテ」を観てきた。
 詳しいプロットは遊園地再生事業団のホームページに書いてあるから省略するとして、これが本当におもしろい芝居で、鳥肌ものなのだった。公演期間は明日までだから、もう観に行くことはできない。可能だったら足を運んでいるだろうと思ってしまうくらい、素晴らしい芝居だった。
 家族が緩やかに再生していくという物語ではあるのだが、俳優の身体や発話がもっと大きな、現代社会みたいなものに明らかに繋がっているのだ。露骨な台詞はないのだけれど、あきらかに現代の日本の縮図が舞台上にあった。
 そもそもこの「モーターサイクル・ドン・キホーテ」はシェークスピアの失われた戯曲である「カルデーニオ」が今の日本で描かれたらどうなっているか、というコンセプトで作られた芝居*1だ。ある意味では「カルデーニオ」の再生を目的*2としている。ぼくは観ていて、「カルデーニオ」の再生を感じたし、その再生はそのまま家族の修復を意味していた。
 終演後、ポストパフォーマンストークがあって、そのときにパネラーのスティーブン・グリーンブラッド氏が今回の「モーターサイクル・ドン・キホーテ」の主役を演じている小田豊さんが舞台上で、非常に気の抜けた立ち姿を披露していることを指摘していた。スティーブン・グリーンブラッド氏はチャールズ・ミー氏と共同でアメリカを主題にした「カルデーニオ」という芝居を作ったらしいが、その芝居の中にはそんな立ち姿はなかったのだという。
 考えてみればあのダラっとした立ち姿はシェークスピア劇ではありえない。逆にポツドールチェルフィッチュではよくあるような力の抜け方だ。そしておもしろいことに、今月似たようなものを歌舞伎座で観たような気がするのだ。「権三と助十」の菊五郎三津五郎だ。
 「権三と助十」は新歌舞伎だが、当時の現代劇であった生世話ものは、意外と今のポツドールチェルフィッチュみたいに、ノイジーな身体性を持っていたのかもしれないと思った。結局、当時の歌舞伎の精神っていうのは、今の小劇場に受け継がれてるんだなあと思う。歌あり踊りありだしな。

*1:たぶん。

*2:たぶん。