猫の手を借りたいほど忙しくはない、さん

 初貴さんの許可も出たところで、作者バレでいっちゃうぞ、ってことで。何日か前に書いた部分も直しちゃったよ。それはともかく「ストライクブルー」だ。

  • 「ストライクブルー」

 まず最初に断っておかなければならないのはぼくは巨乳派ではないということだ。むしろ美乳、いや微乳派だ。正直巨乳の女性と付き合ったことがないので……ていうか、貧乳ばっかだよ、悪いか、っていう感じなので、巨乳的リアリズムを抱けないでいるのだった。もちろん巨乳は素晴らしいよ。でもなかなか現実的には難しいよねって話だ。
 随所に竹仙人さんらしい箇所があって、楽しみながら読んだのだった。

「心配すんな、トランプを取るかお前を取るか……それを決めるための重要なトランプだったんだよ」
「それはじめっから負けてるだろ!!」
「まーま、部長も落ち着いてくださいよ可愛いです」
「はいそこ、ついでに口説かない」

 上に引用した部分を始め、くすくす笑ってしまうような描写が多くて、概ね満足した。この満足っぷりっがぼくにとっての竹仙人作の魅力でもある。概ね満足できるのだ。他にもおもしろい描写はあったが、今酔っ払っていてあまり思い出せないのとたぶん作者的には引用されるのは恥ずかしいに違いないという優しさで、引用はしない。
 でもあれよね、最後は無理矢理まとめた感じがあって、これどうなのよって感じだったんですが。そこ以外は、ジュブナイルとして安定していたと思う。下ネタが少なかったかな。もう少し多くてもよかったかな。竹仙人さん作にマンコマンコ期待していたのはここだけの秘密だ。いや秘密じゃないよマンコマン。某長編部門で堂々とマンコと書かれていたのをいまだにうらやましく思っているぼくなのであった。
 でも一度ギャルゲ的なものから遠く離れた竹さんが見たいと思っているのも事実だ。
一応金払って買ったんだよという自己弁護の元、無駄に偉そうになっていますが、読んでいてそう思ったのだった。色恋から離れて、笑いだけを考えて書いてみても、いいものができるのではないかと思った。オリジナルで人をゲラゲラ笑わせられたら、それはもうプロレベルだ。

  • 「いつか眠りにつくまでに」

 まず最初に断っておかなければならないのはぼくはハードボイルド系が苦手だということだ。ぶっちゃけ、一番楽しめなかったのはこの小説だった。そして一番達者だと思ったのもこの小説だった。
 思い出したのはたけしの「キッズ・リターン」という映画に対しての、おすぎの評論で「悪い映画ではないけれど、結局ボクシングとヤクザか」*1というものがあって、そのときは、ぼくは「キッズ・リターン」が大好きな映画だったので、「何言ってんだおすぎのくせに」などと思っていたのだけれど、今回この「いつか眠りにつくまでに」読んで、そのときのおすぎの気持ちが少しだけ理解できたのだった。またケンカとセックスと酒か、見たいな感じで。
 しかしながら、一番まとまっていたのはこの「いつか眠りにつくまでに」だと思う。何かイニシエーションというか、再生までの緩やかな上り坂が描かれていて、素直に納得できた。よくできているんだと思う。要するに葉子に電話をかけようとしてやめた「私」が葉子を登山へ誘えるようになるまでの変化だよね。誘う言葉がナチュラルに吐き出されるまでの物語なんだろう。あー、でも、ハードボイルドは苦手なんだよ、うわーん。
 ぼくだったらどう書くかっていうのを考えることは結構多い。この小説を読んでいるときもそうだった、まず幽霊を出すというところから始まって、登山の場面まで書いて、幽霊が亡霊になる。要するに夢幻能みたいなものになって、後半にシテとワキが入れ替わるような構造になっちゃうなっていうところまでは考えた、書かないけど。(笑)
 この小説については、ぼくの中にハードボイルドアレルギーが存在してしまっている以上、どうにもうまく書けない。でもねでもね、この短篇小説集に収録されている三作品、「思考停止実験Ⅰ・Ⅱ」、「いつか眠りにつくまでに」、「1999」を比較するとおもしろいことに気づいた。例えるなら、「思考停止実験Ⅰ・Ⅱ」は底なし沼に沈んだまま浮かび上がらない、「いつか眠りにつくまでに」は底なし沼に沈んだがどうにか這い出そうとしている、「1999」は底なし沼にいたはずなのにいつの間にか沼自体が干上がっている。そんな印象の違いがあった。これを作家性としていいのかどうかはわからないが、例えば同じお題で書いたとしても、このお三方は間違いなくかぶらないんだろうなってことはわかった。(笑)


 残る二作品については後日。特に「1999」についてはがっつりいきたいところだ。(笑)

*1:ごめん。おすぎじゃないかもしれない。でもおすぎだったはず。